2017年の送り火

昨日8月16日は、京都・五山の送り火が灯される日でした。

お盆で現世に来てはりましたご先祖さまの魂が、あの世へ還って行かれるのを、送り火を焚いてお見送りします。

終戦記念日の翌日が、お盆の最終日となることには、何か天の采配を感じます。

毎年その年ごとの思い出がありますね。

子供の頃は、お盆休みも無く働いていました両親と、まだ健在でした祖母や、住み込みの人達とともに、点火時刻に合わせて自宅の屋上に上り、建物の黒いシルエットの隙間から、小さく小さく見える送り火を眺めていました。

私が成人しました頃には、世の中は好景気に沸き、毎年家族揃ってドレスアップし、リーガロイヤルホテルの最上階・回転レストランでディナーを楽しみ、ワインを飲みながら、レストランがゆっくり一周まわる間に、五山全ての送り火を鑑賞するというスタイルになりました。

やがて、結婚後は、その会に、お舅さんお姑さんも ご一緒するようになり、息子たちが産まれ、弟たちの家族も増え・・・

そのうちに、家族のみならず、その年々にご縁のありましたお客さまもお招きするようになり、どんどん人数が増え、にぎやかなパーティーとなりました。

しかしやがて、祖母が亡くなり、お舅さんもお姑さんも亡くなり、お招きしていましたお客さまも何人かの方々が、天に召されました。

だんだんと実家の家族はばらばらになり、集うことも無くなり、いつしかそのスタイルは変わり、9年前からは、母が数人のお客さまを、グランヴィアホテルのフレンチにご招待し、静かに送り火を鑑賞するという会になりました。

そして私は、そこからも離れ、自宅で孫たちと過ごすようになりました。

私の今生の人生にも色々な歴史があったんやわ~と、毎年こうして、昔からのこの日を思い浮かべます。

そして今年は、ふとした思い付きで、家の屋根裏部屋から、大文字がきれいに見えることを発見しました。

と共に、屋根裏部屋に眠っていました、息子達の子供の頃の洋服のみならず、主人や私のものまで発見しました。

50数年前に主人が着ていましたツィードのコートは、亡きお姑さんから、「これは惠ちゃんが小さい頃に着てたのよ」と譲り受けましたものの、当時は、二人の息子達に、いつもお揃いの洋服を着せていましたので、出番が無いままに、しまってありました。

この冬には孫が着てくれるでしょうと、それを羽織ってはしゃぐ孫の姿に目を細めつつ、「きっと、お姑さんが気付かせてくれはったんやね・・・」と、温かい気持ちになれました、今年の送り火の夜でした。

(橋本由美)

京都はカオス?京都駅と京都タワー

京都駅は、1997年に新しく建て直されまして、今年で18周年となります。

近未来的なデザインの建築は、古都・京都にはふさわしくないとの反対意見もありましたが、今ではもうすっかり京都の顔となっています。

駅

かく言う私も、最初はどうしても好きになれませんでしたが、今ではこの正面のミラー壁に映る京都タワーの姿が大好きになりました。

ミラー壁

その京都タワーも、1964年に建築されました当初は、ずいぶん物議をかもしたそうです。

当時は、高い建物もありませんでしたし、低く広がる瓦屋根を海に見立て、京の街を照らす灯台をイメージして設計されたのだそうです。

母なども、「最初は、なんて変なもの建てるんかと思うたわ。」と話します。そして今では、「よそから帰って来て、京都タワーの姿が見えると、あぁ帰って来たなぁと、ほっとするようになったわ。」と いつも言います。

タワー

ある調査によると、京都タワーは、京都を訪れる外国人観光客にとりまして、寺社仏閣以上の一番人気の記念写真スポットなのだそうです。

京都人は、保守的なようでいて、斬新なものをいち早く取り入れるという歴史があるようですね。

市電は、今はありませんが、1895年に日本最初の電気鉄道として開通しましたし、日本初の公立画学校は、1880年に設立されました。

その伝統の流れかどうか、2006年に、京都国際マンガミュージアムが開設されました時も、「こんなもん造ってもなぁ~」との声もありましたが、今や世界中のアニメ好きな若者のメッカとなっています。

面白いものですね。

昔、わが家にホームスティしていましたオーストラリアの人に、「京都はカオス」と、いつも言われまして、なかなかその意味がわかりませんでしたが、最近はようやく、「いい悪いではなく、確かにカオスやなぁ~」と、理解できるようになりました。

これからも、柔軟な感性を持って、この街を楽しんでいきたいものです。

(橋本由美)

『模倣』の意義

日経ビジネス人文庫より発刊されている『模倣の経営学』(井上竜彦著)を読んでおります。

井上氏の書籍は、『ブラックスワンの経営学 通説をくつがえした世界最優秀ケーススタディ』に続き2冊目になります。

さてこの『模倣の経営学』の主題は「トヨタもセブンイレブンもスターバックスも、優れた企業は「真似て、超える」ことで成功した」という内容を整理して発展させた内容です。

真似るという行為は、「猿真似」という言葉があるように、良い印象がありませんが大事なことです。
本著で初めて知ったのですが、世界の製造業に偉大な影響を与えているトヨタのジャスト・イン・タイムのシステム、生みの親の大野耐一氏はスーパーマーケットの仕組みを人づてに聞いたことから発展させたそうです。

真似るという行為は本当は素晴らしいです(ここでいう真似るとは陳腐なコピー商品や、版権・パテント等無視した盗作まがいのものではありません)。

「真似ぶ」は「学ぶ」と近い言葉だと以前聞いたことがあります。
アイザック・ニュートンは「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。」という言葉を残しています。

『模倣の経営学』にもありますが、「守破離」という言葉もあります。
「守」とは師から教わった型を「守る」こと
「破」とは自分にあったより良い型を目指し、教わった型を「破る」こと
「離」とは自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、最終的には型からも自在に「離れ」進化すること

注目すべきなのはまず最初に「守」が来ることです。

ただ、「守」に入るためには、まず良い師を見つけないといけませんね。

では、そもそも良い「師」とは何でしょうか。そしてどうすれば見つかるのでしょうか。
これは、簡単な問いではなく私もまだ見つけていないので、今後進捗あればここに書こうと思います。

ただ、今言えることは「師」は探すと見つからない、今目の前にあることに真剣に取り組んでいく中で、ぼんやりと目の前に輪郭を持って現れる存在なのではないかということです。
簡単に言うと、「足元の地面を一生懸命掘り続けていたら、少しずつ地面の中から出て来た」といったところでしょうか。どこか探検して見つけに行くのではないです。

私は、幸いなことにこれまで超がつくほど一流の方ばかりを師という形で出会ってきました。

世界有数の海外の巨大企業でリーダー育成のエリートコースを切り抜けてきたような方から、アメリカに身一つで渡り一大事業を築き上げた方、独学でデータ解析から熱伝導・対流の制御に関する特許等を抑える等一人でやってしまうような方まで、普通に考えてどうしたら会えるのかわからないような方ばかりでした。

これらの方々、会いに行ったわけではなく、目の前の問題に真剣に取り組んでいるときに、突然思いがけぬ形で紹介があったり、就職した先のベンチャー企業の上司だったりという形でした。
出会いとは不思議なものです。私は、人との良縁は自分で探すのではなく、必死に手足をバタバタして浮き上がろうと努力している中で、いつの間にか指に引っかかっている糸のようなものと考えています。

『模倣の経営学』からだいぶ脱線してしまいましたが、この本を読んでいるうちにこのようなことを思いました。

井上氏の書籍、学術的な最新の情報等も盛り込んでいるため読み応え抜群で勉強になるのでお勧めです。

P.S.
『ブラックスワン』といえば映画がありましたね。私は、映画の内容を知らずに映画館に観に行き、この世の終わりぐらいに怖かったです。
人間心理を扱った映画の方が、単純なホラーより後味は最悪ですね(笑)。
社会性、芸術性は非常に高く素晴らしいのですが、個人的には苦手でした。
コアなファンはできそうな独特の映画でした。

 

橋本圭司

京都は風水都市~四神相応・青龍篇

青蓮院

京都は、794年桓武天皇の時代に「平安京」として造営されましたが、当時の国家プロジェクトとして「風水」による方位学によって選ばれた吉相の場所であったといわれています。

風水では「四神相応(ししんそうおう)」といって、東西南北にそれぞれ神を配置するのが基本で、それぞれ、青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)と呼ばれる聖獣が司ります。

地形的には、青龍は大河(川)を、白虎は大きな道路を、朱雀は広い平野や湖、海などの視界の開かれた場所を、北は山や盛り上がった丘陵地帯を意味し、京都は これにちょうど当てはまる土地として、選ばれました。

東の流れは、「鴨川」です。

西は、五畿七道の山陽道と山陰道がありました。前者は、現在の兵庫県から山口県へ抜ける中国地方瀬戸内海側の街道であり、後者は北近畿から島根県へ続く日本海側のルートでした。

南(朱雀)には、かつて巨掠池(おぐらいけ)がありました。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である宇治川が、京都盆地に流れ込む最も低いところに位置しており、広大な遊水池を形成しており、古代から中世は、水上交通の中継地として大きな役割を果たしていました。

北(玄武)は、船岡山や鞍馬山を指します。紫野(船岡山から大徳寺周辺一帯)に横たわる丘陵が船岡山で、平安京の中心軸「朱雀大路」の延長線上にあることから、平安京造営の基準点と考えられています。

鬼門封じのため、鞍馬から比叡山にかけては、貴船神社や延暦寺が建てられ、結界が結ばれました。

その延暦寺の三門跡のひとつとして、三千院、妙法院とともに建てられましたのが、青蓮院です。http://www.shorenin.com/

青連院

ここに祀られています青不動明王は、国宝にも指定されており、現在は、青蓮院・将軍塚青龍殿にお祀りされています。http://www.shorenin.com/shogun/

もともと、不動明王は、大日如来の化身であり、五色(青・黄・赤・白・黒)に配せられることもあり、赤不動、黄不動、目黒不動、目白不動などはその例ですが、 最上位に位置するものが青不動であるとされています。

ここからは私の勝手な推測ですが、青蓮院の位置は、清水寺や知恩院とともに青龍の守りとなっているのではと思います。
そのために、「青蓮院」という美しい命名がなされ、「青不動」が祀られているのではと考えます。

豊臣秀吉が寄進しましたこの一文字の手水鉢は、穏やかな日差しのもとにも、また冬の凍った姿も美しいものです。

青蓮院手水鉢

この襖絵は、「生き物賛歌」と名付けられ、蓮の間に蜻蛉や蛙、亀たちが活き活きと見え隠れしています。

ふすま絵1

こちらは、「極楽の蓮」の間です。阿弥陀経の中にある、極楽には青、赤、白、黄の蓮が咲くという記述に基づいて描かれているそうです。

ふすま絵2

随所に清々しい青龍パワーを感じられる美しい寺院で、私のお気に入りスポットとなっています。

(橋本由美)

セイバーメトリクス

セイバーメトリクスという野球の統計分析に当たるようなものがあります。

(Society for American Baseball Research)とメトリクス(指標)を組み合わせた言葉です。

 これを当時資金不足で弱小チームであったオーランド・アスレチックスに取り入れて常勝軍団にまで育てたビリー・ビーンという方が有名です。
 ブラッド・ピット主演の映画『マネー ボール』でご存知の方も多いかと思います。
 私も、映画はもちろん書籍も読みました。
 今でもそうですが、野球選手を打率やホームラン数、盗塁数等で評価することが一般的だと思います。
 ビリー・ビーンはそうではなくて出塁率を重視しました(他にも相手の投球数をどれだけ稼げるか等いろいろあります)。ヒットでも四球でも何でもいいのです。
この視点で見ると、打率が高くなくても、選球眼が良く四球等で出塁率が高い無名の選手が、突然隠れた優秀な選手として浮かび上がるのです
 投手なら勝数ではなく、例えばクオリティ・スタートという先発投手が6回まで自責点3点以内に抑えたときに記録されるもの等があります。
 このビリー・ビーンの取り組みは、当初は他球団から見向きもされないどころか、球団内のスカウト担当の陣営からも反発がありました。
 しかし、結果はアスレチックスの成功を受け、多くの球団が取り入れだしたため、より複雑な指標も開発されているような状況にまでなっています。
 ここで強調したいのは、この例はデータによる指標がベテランや現場を熟知する人々の経験を上回るということではありません。
 なぜなら、指標の結果を受けて行動を起こすのが、その経験を豊富に持つ現場だったりするので、「データでこうだから」という押しつけでは、一丸となった行動は不可能です(ビリー・ビーンはかなり激しくやりあったようですが、個人的にはこれは結果オーライの話で、特に日本では難しいと感じます)。
 ただ、データ等の分析から今までになかった新しい次元を加えて物事を考えた成功事例として非常に面白い話だと思います。
以下に『マネー・ボール』の映像(予告編)を参考に載せました。

 

橋本圭司

プライミング効果について

ある刺激を受けたとき、その影響でそれ以後の考え方や感じ方が変わることを『プライミング効果(呼び水効果)』と呼びます。

例えば、トロント大学の実験で
被験者にかつて自分が犯したと感じることや行為を思い出してもらう
次に、半数の被験者に手を洗ってもらう
その後に困っている大学院生のために、無償で実験に参加するかどうか質問

という実験の結果、手を洗わなかったグループは74%、洗ったグループは41%参加すると答えました。
手を洗ったグループは協力する気が少なかったのですね。
この結果を受けて、手を洗い流すという行為により罪悪感も洗い流したと無意識に感じているのではないかと考察されています。

更に、他の実験でも
バラバラになった文字を文章に復元するという実験で、「老い」を連想させる言葉を多く含む文章を復元したグループの方が、そうでないグループよりも、廊下からエレベータまでの歩く速度が遅くなった、というものもあります。

これらのことは、無意識がいかに周囲の環境や行動に影響を受けているかをよく示していると同時に、人々の行動や文化についても面白い視点を得られます。

例えば、先ほどの水と罪悪感の繋がりの例、日本の神道の禊や神社の手水舎、キリスト教なら洗礼式等での聖水もこれにあたるのでしょうか。
イチロー選手が毎打席必ず行うモーション等、一流スポーツ選手が必ず行う仕草もプライミング効果で説明できるように思います。
勝負に臨む前に決まった動作、行動を行うことを取り入れることが、結果として日々のメンタルを整え、好不調に振り回されないようにできる体制を整えているのではないかと考えています。

私たちが日常で取り入れるなら、毎朝少し瞑想するとか散歩するというのがあります。
そうでなくとも、より簡単に、どんな場合緊張を強いられる場合も含めて)でも、>必ず人と会う前にコーヒーを一杯飲んで一息つくというのもありかもしれません。

ただ、プライミング効果というのは無意識でするからこそ効果があるのであるため、なかなか意識してしまうと効果は薄いそうです。
単純に何か直前に迫った問題を解決するために始めるのではなく、気軽に気分転換のつもりで日常に取り入れられる些細なことから始めたらいいと思います。

(橋本圭司)