人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

生け花と海の絵

平家物語の「敦盛」の中に、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」との一節があります。

織田信長が、桶狭間での出陣前や、本能寺の変の時に、この節を含む幸若舞を舞ったことで知られていますね。

現代では、「人生は50年間程度のもの」と解釈されることもありますが、実際の意味は、微妙にニュアンスが違い、
「人の世の歳月の50年は、下天(天界では一番下の階層の世界、一日が人間界の50年とされています)の時間軸に比べれば、夢幻のように儚いもの」と解されます。

ですので、「人生は、宇宙の時間軸からみれば、ほんの一瞬のことですから、目の前の出来事に一喜一憂することなど意味無いのですよね」という捉え方もありますが、やはり、たとえ一瞬の時間であっても、この世に生まれてきたことには意味があるのですね。

泣いたり笑ったり、喜びも悲しみも、あらゆる感情をも体験し、最終的には、「愛」を学ぶために今生があるのでしょうと思います。

イエス・キリストも仏陀も、天界にいるだけでは体験のできない「人間の苦しみや悲しみ、それらを通して学ぶ゛愛゛」を実体験するために、この世に生まれてきはったのでしょうと、私なりに理解しています。

目の前に起こる出来事は、ネガティブな感情も含め、しっかりと受け止めつつ、クリーニングを続けることが大切なのでしょう。

それらを通し、最終的に「愛と調和」を学ぶために、私たちは、生まれてきたのですから。

Peace of I ♪♪♪

(橋本由美)

人脈とは何か

ネットワーク科学という分野があります。

これは、インターネットや経済、細胞などの生命活動から人間関係まで多くのネットワークには類似性があるのではないか、という視点で研究が進んでいる科学です。その研究の中でたいへん面白いネットワークの形がわかってきています。

ここでは詳しい説明は省きますが、ネットワークがどのようなものか身近な例で説明します。
Aさん(世界中の誰でもいい)がBさん(同じく世界中の人からランダムで選ぶ)に手紙を人づてに届けようとした場合、自分以外に平均して5人程介すると届いてしまう、というものです。

『六次の隔たり』と言われています。
どうしてこうなるかというと、世の中には隣近所だけ知っている人がいる一方で、世界中に知人を持っている顔が広い人間も多くいるため、そうした人々が世界中の人の距離をグッと縮める役割(ハブ)を果たすからです。
これは実際にアメリカの大学やドイツの新聞社等が実験してみた結果、ある程度実証されているそうです。
SNSやインターネットが浸透したため、最近はより少ない数になっているとも言われます。

「この人とあの人が実は知り合いなの?」といったことが、あなたの周りの人間関係にもありませんか?
そんなことを考えていると、私が大学時代にゼミ入試に落ちた時の事を思い出しました。
当時、まさか落ちるとは夢にも思っていなかったため、落ちた時は非常にショックでした(笑)。
その後、友人達から「あそこは高校等下から上がってきた人がネットッワークを駆使して、優先して入りやすいゼミだ」と聞き、がっかりした記憶があります。

そのため、滑り止めのゼミを探すか代わりに何か別の独自の道を選ぼうと考えました。
ただ、ゼミ入試を辞めたからといって、何をしたらいいのか皆目見当がつきません。
そこで、ある友人に相談しました。その友人は、学生団体の大がかりなイベントを企画して大手企業からスポンサー契約とってくるようなバイタリティのある人物でしたので、そのネットワークの広さの秘訣を尋ねると
「友人の友人で、この人は面白い事してるよ、という人を探して紹介してもらう。それを延々と繰り返す」
とのことでした。
実際私も早速挑戦してみると、いきなりインターン先を紹介してもらうなど、上々の成果を挙げることができました。

この方法は、本気で取り組めば効果絶大です。
しかし注意しなければいけない点があります。
果たして「Aさんの紹介で貴方のことを知りました。友人になりましょう。それから、誰かお知り合いで面白い方はいませんか?」と近付いてくる人とすぐに仲良く付き合えますか?
これは極端な例ですが、人脈を広げようと頑張れば頑張るほどこの様な印象を相手に与えてしまいがちです。
それに、何よりその相手の方にも失礼ですね。

ですので、最近は人脈が広いか否かは全く問題ではないと考えるようになりました。
そもそも『脈』という漢字は、左の『月』が『にくづき(肉月)』と呼ばれる部首で、肉体に関する漢字に使われ、右の『爪』に似た形の部分は、川から支流の分かれ出た姿を描いた象形文字だそうです。
『人脈』という漢字の意味は、人の体の中から広がっていくものだという印象を私は受けます。
血管のように人にとって最も身近な大切なものであり、外面に表れたあたなを表現する体の一部。だからこそ今いる身近な人を大切にして、お互いに知り合えた事をただただ感謝しあえるような関係を一つでも持てればいいのではないでしょうか。

それはただ顔と名前と連絡先だけ知っているような関係をどれ程沢山持っているよりも、遥かに価値があることだと思います。
そういった尊い関係がきっかけとなり、「この人なら自信を持って推薦できる」と広がっていくのなら、これこそが真の意味で『人脈が広がる』ということでしょう。
『広げる』のではなく『広がる』のです。
それに、たった5人を介したら誰とでも繋がれる世の中。そんなにあくせくしなくてもいいとは思いませんか。

橋本圭司

大殺界は大幸界

アメリカでバーベキューソースの会社等を経営されているYさんには、学生時代から多くのことを教えていただきました。

印象に残っている言葉を、少しご紹介します。

・「一儲けのためには人儲け」
お金というものは勝手に足が生えて歩いてくるものではない。大概はお財布に入って人様にくっついてくるもの。
だからこそ、成功するにはお客さんに好かれなければならない。人が沢山集まるようにすれば自然とお金は入ってくる。

・「大殺界は大幸界」

これは、京都で料理店を営んでいらっしゃるYさんのお姉様から伺いました。

ある時、常連のお客様が
「私、今年大殺界やねん。どうしよう。。。」
と言われた時、
「”だいさっかい”というのは”大幸界”と書くんやから、むしろ喜び!」
とアドバイスされたそうで、そのお客様は気分が変わり喜ばれたそうです。

このように漢字を少し変えて見るだけで、これ程意味が変わるのだと面白く感じました。
そう考えてみると、他にも色々ありますね。

「顔晴る(がんばる)」という漢字を使う方もいらっしゃいます。

ずいぶん前になりますが、某清涼飲料水のCMで
・コップ半分まで減った飲料水の映像と共に「人生は所詮考え方しだい。例えばこの○○。半分しかないと思う?半分もあると思う?いいほうに考えよう」
・逆立ちしようとしてこける等の格好悪い映像がいくつか流れた後、「失敗だと思う?おいしいと思う? いい方に考えよう」
といったテロップが流れるというものもありました。

仕事においても家庭生活等のプライベートにおいても、本当に豊かな方は、こうした思考の転換が上手いように感じます。

生まれつきの性格の方もあるかもしれませんが、お話を伺っていると、多くの人が後から自分の努力で意識的に習慣付けています。

心配せず諸事に心を配り、後はいい方に考える。
これを自然体で行える。

こういった精神的な強さこそ、真の強さなのでしょうし、これは後天的に身につけられるものなのだと信じています。

橋本圭司

日本的で奥が深いロゴ

 オリンピックのロゴ問題が話題になっているので、これまでのオリンピックのロゴを見てみたくなって調べました。
 そうしたら、2016年のオリンピック招致に採用された日本のロゴが出てきたのですが、日本文化もきちんと表現できておりシンプルで良いと感じました。
 『結び』というのは日本の文化をよく反映していると思います。
古事記等の神話でムスビという言葉で有名なのは、造化三神として神話の最初に出てくる「神産巣日神(カミムスビノカミ)」と「高御産巣日神(タカミムスビノカミ」です。
 自分もあまり神話等は詳しくはありませんが、『ムスビ』とは物事と物事が縁で繋がって新しい物事を創造するというイメージがあります。
 日本人の主食「おむすび」もお米や具、海苔を両手を合体させるように握って新しいものを産み出すからそういう言葉がついたと聞いたことがあります。
 相撲の結びの一番という言葉も関係があるかもしれませんね。(出展は正確なものを忘れましたが、たしか高田崇史さんの著書辺りにそのような話があったと記憶しています)。
 とにかく、この2016年ロゴは帯自体が五大陸を表す五色をきちんと表したうえに、この五色の帯が結ばれているというデザインなので、個人的には「非常にいい!」といえるロゴだと思います。
2016オリンピック招致用ロゴ
橋本圭司

学ぶことと視点の多様化について

私にとって人生で非常に大きな影響を受けた恩師がいます。
残念ながら2年前に他界しています。
その方のおかげで、私がデータや資料を分析して仕事をするような道を開かせていただきました。
その方が常々言っていました。
「本当に統計学を理解したいなら、数学の歴史をまず学べ。俺は、今の水準まで来るのに何十年もかかった。焦ってはいけないよ。」
最近は、優秀な統計ソフトが多数販売されており、とりあえずデータを入れて、最低限の統計の知識があれば、結果の解釈ができる程度の分析ができます。
しかし、それは分析手法の誤用にも繋がります。
私自身、日々勉強を継続していますし、恩師の言葉通り、最近では数学史、微積分等幅広く知識を深める努力をしています。
そうすると、ある日、前まで分からなかった理論が突然理解できたりします。

微分の問題で、ラグランジュ乗数法というのがあります。

この公式の導出方法は実は、高校等では別の項目として習う線形代数の内積(内積が0のとき、ベクトルが直交しているというもの)の知識を組み合わせると、見事に求まるという証明が書籍にありました。
何回か読み直して、ようやく理解できた時思わずうなってしまうような見事なものでした。
他にも、相関係数や最小自乗法の線形回帰分析を線形代数の内積の視点で見ると、新しい発見があったり。
学校教育のように、微分は微分のみ、線形代数は線形代数と区切って勉強すると、なかなかこういう知識を有機的に組み合わせられないかもしれません(少なくとも私は、受験時代はこんなこと一切考えたことなかったです)。
もちろん、学校教育は、受験という時間的制約がある中で、如何にして多くの子どもに必要十分な知識を教えれるかが目的なため、仕方ないとは思います。
ただ、もう少し様々な領域を行ったり来たりするような教え方(線形代数⇔微積分等)で、
「この前教えたこの公式、今日教えた新しい概念で見るともっと別の見え方ができるよ」
というような感じで進められたら、もっと楽しくて応用力がつく授業になるのではないでしょうか。

空間の多様性と曖昧性について

小島寛之さんという経済学者・数学者の著書を愛読しています。

話題が豊富で、読むと必ず知見が広がったと実感できる本ばかりです。
著書の一つであるベスト新書『数学的思考の技術』のp156「第6章 私たちが暮らすべき魅力的な都市とは」という章があります。
ここで、「道はまっすぐ」、「道路区画は格子状」、「区域を工業地域、商業地域、住宅等で、機能別にわける」方が良いという機能優先の合理主義の思想で都市デザインを考えた建築家の巨匠ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエのことが書かれていました。
特に、コルビュジエは私が東京で仕事をしていた時に、夜間でデザイン学校のSTRAMDで学んだことを記憶しています。
ところが、この思想で作られたアメリカのプルーイット・アイゴーしかり、インドのチャンディーガルしかり、ブラジルのブラジリア等次々と暮らしづらく、犯罪が多発する失敗例となってしまったとのことです。
なぜか?
アメリカの都市学者ジェーン・ジェイコブスは、アメリカの代表的な都市を調査し、魅力的な都市の備える4条件を以下に定義した。
1、街路の幅が狭く、曲がっていて、一つ一つのブロックの長さが短い
2、古い建物と新しい建物が混在
3、各区域は、二つ以上の機能を果たす
4、人口密度ができるだけ高い
合理主義な都市計画の真逆のような内容ですね。
更に、ルドフスキーという学者が『人間のための街路』において、街路や階段などが単なる通行路に終わらず、多様な機能(街路は子どもの遊び場でもあり、露天の店先でありetc)を備えていることがいかに人の暮らしを豊かにしているかを論じています。
このような内容を小島さんは6章で整理しておられます。
役割を明確にせず、多機能性、曖昧性を内包した環境の方が、日々の生活を営む都市としては良い。
この話を読んで、日本の伝統的家屋の空間の取り方もまさしくその通りではないかと思いました。
家の「ソト」と「ウチ」を分ける壁ではない縁側というものがあります。
また、部屋と部屋を区別する襖。 これは、開けたり閉めたりできるため、部屋の役割を固定しません。また、壁で隔てるのではなく、襖で仕切られていても隣の部屋の気配が感じられます。欄間もありますね。
時には寝床となり、食事の場所になる多様な役割を担える畳。
考えれば日本の家屋は多機能性、曖昧性の宝庫であり、文化として非常に興味深く感じます。
西洋の家だと、こういう役割は廊下なのかもしれませんが、どうなのでしょう。
橋本圭司

『模倣』の意義

日経ビジネス人文庫より発刊されている『模倣の経営学』(井上竜彦著)を読んでおります。

井上氏の書籍は、『ブラックスワンの経営学 通説をくつがえした世界最優秀ケーススタディ』に続き2冊目になります。

さてこの『模倣の経営学』の主題は「トヨタもセブンイレブンもスターバックスも、優れた企業は「真似て、超える」ことで成功した」という内容を整理して発展させた内容です。

真似るという行為は、「猿真似」という言葉があるように、良い印象がありませんが大事なことです。
本著で初めて知ったのですが、世界の製造業に偉大な影響を与えているトヨタのジャスト・イン・タイムのシステム、生みの親の大野耐一氏はスーパーマーケットの仕組みを人づてに聞いたことから発展させたそうです。

真似るという行為は本当は素晴らしいです(ここでいう真似るとは陳腐なコピー商品や、版権・パテント等無視した盗作まがいのものではありません)。

「真似ぶ」は「学ぶ」と近い言葉だと以前聞いたことがあります。
アイザック・ニュートンは「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。」という言葉を残しています。

『模倣の経営学』にもありますが、「守破離」という言葉もあります。
「守」とは師から教わった型を「守る」こと
「破」とは自分にあったより良い型を目指し、教わった型を「破る」こと
「離」とは自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、最終的には型からも自在に「離れ」進化すること

注目すべきなのはまず最初に「守」が来ることです。

ただ、「守」に入るためには、まず良い師を見つけないといけませんね。

では、そもそも良い「師」とは何でしょうか。そしてどうすれば見つかるのでしょうか。
これは、簡単な問いではなく私もまだ見つけていないので、今後進捗あればここに書こうと思います。

ただ、今言えることは「師」は探すと見つからない、今目の前にあることに真剣に取り組んでいく中で、ぼんやりと目の前に輪郭を持って現れる存在なのではないかということです。
簡単に言うと、「足元の地面を一生懸命掘り続けていたら、少しずつ地面の中から出て来た」といったところでしょうか。どこか探検して見つけに行くのではないです。

私は、幸いなことにこれまで超がつくほど一流の方ばかりを師という形で出会ってきました。

世界有数の海外の巨大企業でリーダー育成のエリートコースを切り抜けてきたような方から、アメリカに身一つで渡り一大事業を築き上げた方、独学でデータ解析から熱伝導・対流の制御に関する特許等を抑える等一人でやってしまうような方まで、普通に考えてどうしたら会えるのかわからないような方ばかりでした。

これらの方々、会いに行ったわけではなく、目の前の問題に真剣に取り組んでいるときに、突然思いがけぬ形で紹介があったり、就職した先のベンチャー企業の上司だったりという形でした。
出会いとは不思議なものです。私は、人との良縁は自分で探すのではなく、必死に手足をバタバタして浮き上がろうと努力している中で、いつの間にか指に引っかかっている糸のようなものと考えています。

『模倣の経営学』からだいぶ脱線してしまいましたが、この本を読んでいるうちにこのようなことを思いました。

井上氏の書籍、学術的な最新の情報等も盛り込んでいるため読み応え抜群で勉強になるのでお勧めです。

P.S.
『ブラックスワン』といえば映画がありましたね。私は、映画の内容を知らずに映画館に観に行き、この世の終わりぐらいに怖かったです。
人間心理を扱った映画の方が、単純なホラーより後味は最悪ですね(笑)。
社会性、芸術性は非常に高く素晴らしいのですが、個人的には苦手でした。
コアなファンはできそうな独特の映画でした。

 

橋本圭司

セイバーメトリクス

セイバーメトリクスという野球の統計分析に当たるようなものがあります。

(Society for American Baseball Research)とメトリクス(指標)を組み合わせた言葉です。

 これを当時資金不足で弱小チームであったオーランド・アスレチックスに取り入れて常勝軍団にまで育てたビリー・ビーンという方が有名です。
 ブラッド・ピット主演の映画『マネー ボール』でご存知の方も多いかと思います。
 私も、映画はもちろん書籍も読みました。
 今でもそうですが、野球選手を打率やホームラン数、盗塁数等で評価することが一般的だと思います。
 ビリー・ビーンはそうではなくて出塁率を重視しました(他にも相手の投球数をどれだけ稼げるか等いろいろあります)。ヒットでも四球でも何でもいいのです。
この視点で見ると、打率が高くなくても、選球眼が良く四球等で出塁率が高い無名の選手が、突然隠れた優秀な選手として浮かび上がるのです
 投手なら勝数ではなく、例えばクオリティ・スタートという先発投手が6回まで自責点3点以内に抑えたときに記録されるもの等があります。
 このビリー・ビーンの取り組みは、当初は他球団から見向きもされないどころか、球団内のスカウト担当の陣営からも反発がありました。
 しかし、結果はアスレチックスの成功を受け、多くの球団が取り入れだしたため、より複雑な指標も開発されているような状況にまでなっています。
 ここで強調したいのは、この例はデータによる指標がベテランや現場を熟知する人々の経験を上回るということではありません。
 なぜなら、指標の結果を受けて行動を起こすのが、その経験を豊富に持つ現場だったりするので、「データでこうだから」という押しつけでは、一丸となった行動は不可能です(ビリー・ビーンはかなり激しくやりあったようですが、個人的にはこれは結果オーライの話で、特に日本では難しいと感じます)。
 ただ、データ等の分析から今までになかった新しい次元を加えて物事を考えた成功事例として非常に面白い話だと思います。
以下に『マネー・ボール』の映像(予告編)を参考に載せました。

 

橋本圭司

プライミング効果について

ある刺激を受けたとき、その影響でそれ以後の考え方や感じ方が変わることを『プライミング効果(呼び水効果)』と呼びます。

例えば、トロント大学の実験で
  1. 被験者にかつて自分が犯したと感じることや行為を思い出してもら
  2. 次に、半数の被験者に手を洗ってもらう
  3. その後に困っている大学院生のために、無償で実験に参加するかどうか質問
という実験の結果、手を洗わなかったグループは74%、洗ったグループは41%参加すると答えました。
手を洗ったグループは協力する気が少なかったのですね。
この結果を受けて、手を洗い流すという行為により罪悪感も洗い流したと無意識に感じているのではないかと考察されています。
更に、他の実験でも
  • バラバラになった文字を文章に復元するという実験で、「老い」を連想させる言葉を多く含む文章を復元したグループの方がそうでないグループよりも、廊下からエレベータまでの歩く速度が遅くなった。
というものもあります。
これらのことは、無意識がいかに周囲の環境や行動に影響を受けているかをよく示していると同時に、人々の行動や文化についても面白い視点を得られます。
 例えば、先ほどの水と罪悪感の繋がりの例、日本の神道の禊や神社の手水舎、キリスト教なら洗礼式等での聖水もこれにあたるのでしょうか。
 イチロー選手が毎打席必ず行うモーション等、一流スポーツ選手が必ず行う仕草もプライミング効果で説明できるように思います。勝負に臨む前に決まった動作、行動を行うことを取り入れることが、結果として日々のメンタルを整え、好不調に振り回されないようにできる体制を整えているのではないかと考えています。
 私たちが日常で取り入れるなら、毎朝少し瞑想するとか散歩するというのがあります。
 そうでなくとも、より簡単に、どんな場合(緊張を強いられる場合も含めて)でも、必ず人と会う前にコーヒーを一杯飲んで一息つくというのもありかもしれません。
ただ、プライミング効果というのは無意識でするからこそ効果があるのであるため、なかなか意識してしまうと効果は薄いそうです。
 単純に何か直前に迫った問題を解決するために始めるのではなく、気軽に気分転換のつもりで日常に取り入れられる些細なことから始めたらいいと思います。
橋本圭司

 

企業の視点での日本人論

モータージャーナリストの小沢さんとマツダの藤原常務という方のインタビュー記事が大変面白かったです。

会話の中で、日本人論のようなものもあり、以下のような内容でした。
僕が思う日本人のすごさは「すり合わせ」です。人と人がヒザをすり合わせて、顔を合わせて、こうしたいああしたいと議論ができるのは日本しかないんです。米国はトップダウン方式だし、ドイツは「私はコレ、次はコレ」と職人的にすべて決まっているんです。責任感ではないんです。
 逆になぜドイツ製品の出来がいいかというと、ドイツでは「ビッグサム」と呼ばれる人がいて、親指の意味なんですが、いわゆる職人、マイスターのことを指します。そのビッグサムが、最後の製造ラインでなんでも直すんです。メルセデスなどは特にそうで、ドイツのモノ作りはそれで成り立ってるんです。
 日本は開発や生産などのもっと前の段階で、人と人がすり合わせをして「こうしよう、ああしよう」と議論をしながら改善できる。これが日本の良さなんです。
日本とアメリカの違いは何となく予想がつきますが、ドイツは初めて知りました。
私の考えでは、このような「すり合わせ」文化の日本では、異質な考え・価値観の人間を「和を乱す者」として排斥する傾向が出がちなのではないか、「村八分」というのもそういう精神構造に起因するのではないかと考えています。
もちろん、西洋でも魔女狩り等ありましたが、そちらは宗教がらみで少し根本が違う気もします。
本来なら、きちんと研究しないといけないのですが、あくまで今日現在の仮説ということでお許しください。
藤原常務は、上記の会話の後、以下のように続けています。
日本人を単純に称賛するのではなく、かつ日本人としての特徴をうまく活かして活躍できる企業は作れると示唆する、大変前向きになれる内容でした。
そのときの目標の立て方どうのこうのじゃなくて、理想に向けてみんなで手を握って「こうしようね」とできる協調性にこそ、日本の強みがあるんです。目標が多少間違っていたとしても、それを日本人はみんなでなんとかしようとするんです。これがなくなると、たぶんダメなんです。
 それは自動車以外の家電でもスマートフォンでもみんなそうで、負けたところはすべてそこを無視したからです。実際、iPhoneは本来日本で造るべきだったと思いますよ。スティーブ・ジョブズもジョナサン・アイブスもミニマリストなんですよ。モノを削ぎ落とし、機能を削ぎ落として一番良い部分を残すのが得意で、それはもともと日本人が持っている日本的才能なんです。ジョブスは禅を大事にしていたでしょう? 結局、ジョブズがiPhoneのアイデアをソニーに持ってきたときに、それに食いつかなかったというのが問題です。食いついていれば今の状況はなかったと思います。
この記事、大変中身が濃く、他の会話の内容も興味深い内容でした。
元記事は下記URLになります。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20150518/1064522/
橋本圭司