2023年節分にて

新しい年が明け、新年の取り組みにもあわただしく時が過ぎ、あっという間に、節分を迎えることとなりました。

『節分』とは、季節の節目のことで、昔は、立春、立夏、立秋、立冬の、それぞれの前日のことを指していましたが、現在では、立春(2月4日頃)のみの呼び名として残っています。

また、四柱推命などの占いでは、立春以降が新しい年となりますので、1月生まれの人は、本当は、前年の干支の生まれということになります。

今年は『癸卯四緑木星』の年です。

十干十二支の『癸卯』は、
『厳冬が去り、扉が開いて、 ぴょんと飛び出るうさぎさんのように飛躍の意味を持つ年』
とされています。
期待しましょう!

また九星気学の『四緑木星』の年は、風にそよぐ樹木の葉のように、爽やかで穏やかな気運を持ちます。

数年続いた世界の波乱が終了し、明るい希望に満ちた社会となりますように!

『ジョコビッチが私たちに教えたこと』
https://twitter.com/hirohide_kage/status/1620046989378621441?s=43&t=XBPoh39DJ6SbYjGIpj1j5g

『個人の判断』
https://twitter.com/wotakumame/status/1618627255030382596?s=43&t=-yC7jK-8edcCqSVLJm4dww

『人間らしさはどこへ』
https://note.com/ryunosuke_0402/n/n4c574759925d

『全体主義の危険性』
https://twitter.com/singletousi/status/1622468759587020802?s=43&
t=XJ1LQ15mkXXtkUhN_0wWMA

(橋本由美)

『令和』の時代

『令和』元年となり、はやひと月が経ちましたね。

日本語本来の語彙は『和語』『大和言葉』とも呼ばれますが、もともと、日本の言葉に『ら行』で始まる単語は存在しなかったのだそうです。
では、国語辞典に載っている『ら行』の言葉はどこから来たのかといいますと、その多くは中国からとり入れた漢語、あるいはヨーロッパからの外来語、ということです。
たとえばリンゴ(林檎)、ロウソク(蝋燭)、ラッキョウ(辣韮)などはもともと漢語なのだそうです。
(出典 プレジデントオンラインhttps://president.jp/articles/-/25148?display=b)

一方、古代言霊思想によりますと、ら行の音は、『螺旋』または『進化』を顕すとの説もあるそうです。

一直線ではなくとも、螺旋を描きながら、少しずつ浄化向上してゆける社会、世界となりますよう、願いを込めて、この元号に思いを寄せてみました。

(橋本由美)

2019年 初春のご挨拶

初春のご挨拶を申し上げます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

今年2019年は、十干十二支では、 己亥(つちのとい)の年となります。

『亥』は、時刻では午後10時から11時頃、方角では北北西を指します。
本来は『閡』という文字で、草木などの生命力が閉じ込められている状態を意味するものでした。

『亥』の次に来ます『子』は、本来は『孳』という文字で、『植物が増える』様を表すそうです。

つまり、亥年の持つ『気』は、『植物が芽吹いて繁る前の、土の中でその準備をし、力を蓄えているという状態』でしょうか。
しっかりと地に足を付けて、地盤を固めるのに良い『気』の年のようですね。

また、京都の『護王神社』には、狛犬ならぬ、狛亥があります。
お祀りされています和気清麻呂公が、その昔、流罪とされました時に、猪に道中を守られたとの言い伝えによるものとのことです。
その時に、足の腱を切られました清麻呂公の、その足も、猪に送り届けられました後に治っていましたことから、足腰の息災に効果がある神社としても有名です。
清麻呂公は、その後、冤罪が晴れ、復権なさいました。

亥年とのことで、今年は、ずいぶん多くの参拝者がありました。
小さな神社ですので、参拝者の列が、外の歩道にも長く続いていました。

皆さまの、この一年が、『己亥』のパワーに沿う、着実で息災な年となりますように、お祈り申しあげます。

(橋本由美)

プルースト効果

ふとした香りから、過去の記憶が呼び覚まされることを、『プルースト現象』と言います。

フランスの文豪、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(1913年から1927年にわたり執筆)の中で、主人公が、マドレーヌを紅茶に浸した香りにより幼年時代を思い出すシーンから名付けられました。

五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)のうち、視覚や嗅覚などは、まず、情報を管理する大脳皮質に伝達されますが、嗅覚のみは、それを経由せず、本能を司る扁桃体や記憶を司る海馬に、ダイレクトに伝達されるそうです。

そのため、『香り・匂い』は、人の記憶や感情への影響が大きいとされ、近年では様々なビジネスにも応用されています。

また、幸せな記憶とリンクした香りには、精神的な傷(トラウマ)を癒やす効果があるとの研究もなされているそうですし、心身の健康状態の改善に有効なようです。

私は、もう20年以上前に、幼い息子たちを連れてディズニーランドへ家族旅行をした時に泊まったホテルに置いてありましたポプリの香りが懐かしく、それに似た香りを、ふと感じた時に、あの頃の日々が蘇り、涙が出そうになります。
息子たちは、もうすっかり大人になりましたが・・・・・・・

今は、お家の玄関や階段に、アロマキャンドルを置いています。
美しい花鳥の絵付けがなされたガラス容器に入ったブランドのものが好きで、少しずつ集めています。
実際に火を灯すことはありませんが、通る度にふんわりとした香りを感じ、ほっと心が安らぎます。

皆さまも、懐かしい香り、幸せな香りで、『ご自分のプルースト効果』を感じてみられてはいかがでしょうか♪

(橋本由美)

2018年 新年のご挨拶

遅ればせながら、2018年新年のご挨拶を申し上げます。

年末年始と、想定外の出来事にみまわれ、その対応に精一杯でした橋本由美です。
自身のメンタルヘルスを何とかコントロールするために、試行錯誤しています状況です。

ただ、この経験も、
『他人に対する代理創造能力を高めなさい』
という天の声と、とらえることにしました。

今年は、戊戌(つちのえいぬ)の年です。
『戊』とは、十干の五行で『陽の土』の意味を持ちます。

『五行』とは、古代中国の自然哲学思想です。
万物は、木・火・土・金・水 の5種類の元素から成り、これらは互いに影響し合い、天地万物が変化し、循環するという考え方です。

30数年前に、これを元に『算命占星術』を編み出されました故・和泉宗章氏により、その中のひとつの要素である『天中殺』が、大ブームとなりました。

当時、私も、そのブームに乗り、真剣に学びました。
そして、多くの友人知人の運勢を観ましたが、その結果、私が得ました結論は、
『性格は、かなり的中させることができるけれども、運勢は、必ずしも当たらない』
ということです。

つまり、生まれ持った運命(いつの時代に、どの国のどんな両親の元に生まれるか・・・など)は、変えられませんが、運勢は、後天的に変えることができる、ということです。

そして、『いかに運勢のコントロールを、ひいては魂の成長を成し遂げるか』の学びのために、人は、この世に生まれてくるのでしょう、という考えに至りました。

ですので、それ以降、一切、運勢を観ることを辞め、学んだ資料も全て処分しました。

人は本来『愛を学ぶために、この世に転生してくる』と、信じています。

・・・・・・・が、転生するにあたり、自ら、ある程度の設定をしてくるのでしょう。いわば、ロールプレイングゲームのように。

「今回は、この辺のラクな設定でいこう」とか、
「今回は、かなりハードルを上げて、一気にステージアップしよう」とか・・・・・・・

今生、困難に出合っている人は、きっと『一気にステージアップにチャレンジしよう』と試みて設定されたのではないでしょうか・・・・・・・これは、自らにも言い聞かせています。

皆様のこの一年が、どうか良き魂の成長の機会となりますように♪♪♪

(橋本由美)

生きてることが辛いなら

森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という歌を、最初に耳にした時には、
「なんてヒドい!」と、衝撃を受けました。

けれども、最後まで聴いてみて、また何度も聴いてみるうちに、これは、『傷付いた魂への優しいエールやわ』と感じるようになりました。

皆さまは、どうお感じでしょうか・・・

森山直太朗作詞
『生きてることが辛いなら』

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気がつきゃみんな年とって
同じとこに行くのだから

生きてることが辛いなら
わめき散らして泣けばいい
そのうち夜は明けちゃって
疲れて眠りに就くのだろう
夜に泣くのは赤ん坊
だけって決まりはないんだし

何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る生命だから

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ

生きてることが辛いなら

(橋本由美)

祇園祭

京都では、祇園囃子が流れはじめると、「もう夏やな~」との会話が、あちらこちらで聞かれるようになります。

祇園祭は八坂神社の祭礼で、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつです。

1200年余り昔、神泉苑に日本全国の国の数の鉾66本を立て、祇園の神を祀り災厄の除去を祈る祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられ、巡行の最初に行われます「注連縄切り」は、神域への結界を切って、厄を祓いながら進む、という意味があるそうです。

お祭のハイライトは17日と24日に行われる33基の山鉾巡行で、「京都祇園祭の山鉾行事」はユネスコ無形文化遺産に認定されています。

祇園祭山鉾巡行は、平成26年に、7月17日の前祭巡行(23基の山鉾)と24日の後祭巡行(10基の山鉾)の2度の巡行が49年ぶりに復活しました。

1996年には、甥が、稚児を務め、注連縄切りの大役を果たしました。
その縄は、今も、実家に飾られています。
親戚中が、毎日、それこそ「お祭り騒ぎ」の一ヶ月余りでしたが、懐かしい思い出です。

(橋本由美)

2017年初春のご挨拶申し上げます

酉 楽茶碗 桂窯

2017年初春のご挨拶申し上げます。

今年は酉年ですね。
「酉」という漢字は、本来、「果実が極限まで塾した状態」という意味をもつものだそうです。
そこから転じて、「頂点を極める」という意味もあり、また「とりこむ」という音併せから、お商売のかたには縁起が良い年とされているそうです。

本年も、皆さまの人生が、愛と調和に満ちたものとなりますように♪♪♪

酉 香合 桂窯

画像の、干支の楽茶碗と香合は、私の大好きな(人間的にも)、桂窯の檜垣青子さんの作品です。

なんとも素敵な意匠ですね、ありがとうございます♪♪♪

(橋本由美)

人脈とは何か

ネットワーク科学という分野があります。

これは、インターネットや経済、細胞などの生命活動から人間関係まで多くのネットワークには類似性があるのではないか、という視点で研究が進んでいる科学です。その研究の中でたいへん面白いネットワークの形がわかってきています。

ここでは詳しい説明は省きますが、ネットワークがどのようなものか身近な例で説明します。
Aさん(世界中の誰でもいい)がBさん(同じく世界中の人からランダムで選ぶ)に手紙を人づてに届けようとした場合、自分以外に平均して5人程介すると届いてしまう、というものです。

『六次の隔たり』と言われています。
どうしてこうなるかというと、世の中には隣近所だけ知っている人がいる一方で、世界中に知人を持っている顔が広い人間も多くいるため、そうした人々が世界中の人の距離をグッと縮める役割(ハブ)を果たすからです。
これは実際にアメリカの大学やドイツの新聞社等が実験してみた結果、ある程度実証されているそうです。
SNSやインターネットが浸透したため、最近はより少ない数になっているとも言われます。

「この人とあの人が実は知り合いなの?」といったことが、あなたの周りの人間関係にもありませんか?
そんなことを考えていると、私が大学時代にゼミ入試に落ちた時の事を思い出しました。
当時、まさか落ちるとは夢にも思っていなかったため、落ちた時は非常にショックでした(笑)。
その後、友人達から「あそこは高校等下から上がってきた人がネットッワークを駆使して、優先して入りやすいゼミだ」と聞き、がっかりした記憶があります。

そのため、滑り止めのゼミを探すか代わりに何か別の独自の道を選ぼうと考えました。
ただ、ゼミ入試を辞めたからといって、何をしたらいいのか皆目見当がつきません。
そこで、ある友人に相談しました。その友人は、学生団体の大がかりなイベントを企画して大手企業からスポンサー契約とってくるようなバイタリティのある人物でしたので、そのネットワークの広さの秘訣を尋ねると
「友人の友人で、この人は面白い事してるよ、という人を探して紹介してもらう。それを延々と繰り返す」
とのことでした。
実際私も早速挑戦してみると、いきなりインターン先を紹介してもらうなど、上々の成果を挙げることができました。

この方法は、本気で取り組めば効果絶大です。
しかし注意しなければいけない点があります。
果たして「Aさんの紹介で貴方のことを知りました。友人になりましょう。それから、誰かお知り合いで面白い方はいませんか?」と近付いてくる人とすぐに仲良く付き合えますか?
これは極端な例ですが、人脈を広げようと頑張れば頑張るほどこの様な印象を相手に与えてしまいがちです。
それに、何よりその相手の方にも失礼ですね。

ですので、最近は人脈が広いか否かは全く問題ではないと考えるようになりました。
そもそも『脈』という漢字は、左の『月』が『にくづき(肉月)』と呼ばれる部首で、肉体に関する漢字に使われ、右の『爪』に似た形の部分は、川から支流の分かれ出た姿を描いた象形文字だそうです。
『人脈』という漢字の意味は、人の体の中から広がっていくものだという印象を私は受けます。
血管のように人にとって最も身近な大切なものであり、外面に表れたあたなを表現する体の一部。だからこそ今いる身近な人を大切にして、お互いに知り合えた事をただただ感謝しあえるような関係を一つでも持てればいいのではないでしょうか。

それはただ顔と名前と連絡先だけ知っているような関係をどれ程沢山持っているよりも、遥かに価値があることだと思います。
そういった尊い関係がきっかけとなり、「この人なら自信を持って推薦できる」と広がっていくのなら、これこそが真の意味で『人脈が広がる』ということでしょう。
『広げる』のではなく『広がる』のです。
それに、たった5人を介したら誰とでも繋がれる世の中。そんなにあくせくしなくてもいいとは思いませんか。

(橋本圭司)

MECEの実現に関して

コンサルティングの分野で頻繁に言われるMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)というキーワードがあります。

これは要するに、何かを分析・検討する際に「重複なく」「抜けなく」しましょうという意味です。

その一助となるのがマーケティングの4P(Product/Price/Place/Promotion)や、SWOT(Strengths/Weeknesses/Oppotunities/Threats)といったフレームワークとなります。

営業戦略や経営戦略に携わる方は、こうしたフレームワーク関連について学ぶ機会が多いでしょう。

「とりあえず、これらのフレームワークでやってみよう!」
という場合も多いかもしれませんが、その前に少し考えてみましょう。

この分析・検討結果がMECEであると、どうやったらわかるのでしょう。

そもそも、「ここからここまでの範囲の中で重複なく、抜けがないように」という、『考える範囲』を関係者が共有していなければ話しになりません。

意外とこの点が抜けたまま議論される場合が多いのです。

例えば、眼鏡販売店がSWOTで、自店舗の脅威になるものを検討した時に、ある人はライバル眼鏡店のみを見ており、実は他の人はレーシック等の視力矯正手術まで念頭に入れて議論しており、お互いにそのズレに気付いていない場合があります。(眼鏡そのものだけならそれほどズレないかもしれませんが)

インドには、盲目の方々が同じ一頭の象を触りながら、鼻を触った人が「樹の枝のようです」、足を触った人が「柱のようです」、耳を触った人が「扇のようです」等と答えたという寓話があります。

皆正しいのです。ただ、触っている部分が違う、そして全容を把握できないがゆえに食い違ってしまうのです。

それでは、皆が全容を共有することはできるのでしょうか。

それはできません。

人は性格も、価値観も、これまで歩んできた人生経験も全て異なります。家族間でも完全な共有は不可能です。そもそも同じ色を見て「赤」だと皆が言っても、実際に見ている色が同じかどうかはわかりません。

教育や文学で著名なジョージ・バーナード・ショウもこのことについて
「コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である」
と述べています。

意思の完全な疎通は幻想です。

企業においても、関係者全員が完全に議論の結論や意図を、同じ質・内容で共有することは不可能です。

しかし、完全に一体となって共有することは不可能でも、手を取り合って同じ方向に向かい、ペースを合わせて進んでいくことは可能です。(イメージとしては二人三脚のようなものでしょうか)

そのためには、「そもそも、SWOTを今する理由はなんだろう」「この議論はなぜ開く必要があるのか」といったように、皆が何度も立ち返ることのできる機会を作る必要があります。

そして、これは本来コンサルタントに期待されている最も大きな役割なのです。

難しい分析を華々しく見せるだけで、実行する現場の人間が「それではどうすればいいの?」という状況で終わらせてしまうコンサルタントの在り方は、無責任ですね。

少なくとも、分析した結果を見せる際に、
「私は、今回の対象範囲はこのように定義しています。」
とMECEであるための、自分の考えている範囲をしっかり説明できないような場合は、関係者との認識を擦り合わせる機会がないまま話しが平行線になる可能性が高くなります。気を付けなければならないと考えています。

人生における人間関係も、これに通じるところがありますね。

(橋本圭司)