「アレクサンドロス大王のゴルディオンの結び目」にみる目的設定の大切さ

かつてゴルディオンという王都に
「これを結び目を解くことができたものこそ、このアジアの王になるであろう」
と予言されたゴルディオンの結び目というものがあった。

これは荷車を結び付けたもので、これまで結び目を解こうと何人もの人たちが挑んだが、結び目は決して解けることがなかった。

数百年の後、この地を遠征中のマケドニア王アレクサンドロスが訪れた。彼もその結び目に挑んだが、やはりなかなか解くことができなかった。すると大王は剣を持ち出し、その結び目を一刀両断に断ち切ってしまい、結ばれた轅はいとも簡単に解かれてしまった。折しも天空には雷鳴がとどろき、驚いた人々を前に、大王の従者のアリスタンドロスは「たったいま我が大王がかの結び目を解いた。雷鳴はゼウス神の祝福の証である」と宣言した。後にアレクサンダロスは遠征先で次々と勝利し、予言通りにアジアの王となったという。

これは、アッリアノス著の『アレクサンドロス大王東征記』第2巻3節を一部省略、編集したものです。 このゴルディアスの結び目を切るという英語が、「難題を一刀両断にする」という例えに使われているそうで、この伝承はアレクサンドロス大王の果断で英雄的な側面を意味するものというのが一般的な解釈かと思います。

ここで、少し見方を変えて、仕事や日々の生活で役立つ(?)ようにこの伝承を解釈したいと思います。

そもそもなぜ、アレクサンドロス大王は他の人たちと異なった思い切った行動ができたのでしょうか。なぜ大勢の人は、結び目を切ってしまえという発想に至らなかったのでしょうか。

私が考えるに、アレクサンドロス大王は目的とそこに至る方法を、明確に区分する能力に秀でていたのではないでしょうか。

最優先の目的は「結び目でくっついている荷車を離すこと」です。

大勢の人は、結び目はほどくものという先入観が先行して、どうやってほどくかということが、いつの間にか最優先の目的になっていたのです。

アレクサンドロス大王は、その点を見誤らずに本来の目的を明確に意識していたために、ほどけないなら切断すれば良いというストレートな発想ができたのではないでしょうか。

なぜなら信託に、「ただし、刃物で切断してはならぬ」という条件なんて一切つけられていませんからね。

荷車を離すだけなら、何でもありです。 切らないで焼き切るとかいうのもありです。

なんだ、そんな簡単なこと誰でも思いつくとも感じられるかもしれませんが、企業でも個人でも目的達成のための手段が、いつの間にか目的になっていることがよくあります。

例えば、お店の集客効果を高めるための広告活動が、いつの間にか、「ビラを何枚配ったか」、「一日で何件電話をかけたか」が目標となって一人歩きしていたりします。

もちろん、このような努力は大切です。 しかし、一番大切な集客という本来の目的にその行動が役立っているかを常に意識して、チェックできる仕組みや体制を整える工夫をしてこそではないでしょうか。

そうしたら、集客が目的なので、既に顧客となっている方にお願いして、お客さんを連れてきてもらう方が自分の店にはより効果的等別のアイデアが出る余地が増えます。

そうやって、本当の目的に常に焦点を当てながら、取れる行動の選択肢を広げてこそ、アレクサンドロス大王のような飛躍が期待できるのではないでしょうか。

ちなみに、ゴルディアスの結び目をテーマにした芸術作品を調べたら、ベ サンスンという方の絵を見つけました。

bae_sangsun_2011

ほどくのなんて無理そうです(笑)

実際はどのようなものだったのでしょうね。

 

橋本圭司