非専門家の役割

歴史学者ではなく小説家である近本洋一氏が著書「嵯峨野あやつり異聞」という小説にて、以下の様な面白い歴史解釈をしています。
京都盆地の西端にある化野念仏寺、そこにある賽の河原。
丁度反対の東端にある銀閣寺、そこにある銀沙灘。
賽の河原と銀砂灘を結んだ同緯度の線状に内裏がある。
応仁の乱で荒れている世の中で、銀閣寺に力を入れたのは足利義政。
銀閣寺の御堂は東求堂という名前。
名の元は六祖禅師の「東方のひと仏を念じて西方に生まれんことを求む、西方のひと仏を念じて何国に生まるるを求めん」という言葉。
義政はこれを新生への祈りと理解し、西の化野念仏寺の”死”に対応し、反対の東に”誕生”を準備すること。
賽の河原から、内裏、銀沙灘という関係を生み出すことで、死と誕生を循環させて都を蘇らせようとした。
 位置をGoogle Map を利用して示しました。左○が化野念仏寺で、御所を通って右端が銀閣寺です。ちなみに左大文字、大文字がそれぞれの寺の傍にあります。
化野念仏寺と銀閣寺の位置関係
足利義政の時代は、幕府の権威が地に落ちており、蝦夷(現在の北海道)を含めた全国で反乱が相次ぎます。京都で起きた長禄の土一揆は鎮圧できませんでした。
応仁の乱までこの時期のものです。
義政が神仏の力を頼ろうとしたとしても、当時の事情を考えると当然とも思えます。
もちろん、これは地図に基づいてはいるが、専門家ではない近本氏オリジナルのものです。何かしら、裏付けとなる資料等が発見されないかぎり、永遠に本流の歴史解釈にはなりません。
しかし、専門家で ないからこそ、その分野の常識にとらわれない自由な見方、行動ができるという事実が存在するということは非常に重要です。
実際に、日本の歴史常識を覆した事例さえ存在します。
それは岩宿遺跡です。
日本の旧石器時代の存在は、1946年に関東ローム層という地層からの石器発見で証明されました。
戦前までは、日本に旧石器時代があったというのは学術的に疑問視されており、発掘調査でも関東ローム層が出てきたら掘るのを止めていたのです。
このような状況で、関東ローム層を掘って歴史を覆したのは納豆の行商をしながら発掘を続けていたアマチュア研究家の相沢忠洋氏でした。
「私は専門家ではないから」「自分はその分野は詳しくない」
この一言で片付けず、多くのバックグラウンドや経験を持った人々が喧々諤々意見を交換し合い、前に進んでいける社会になっていければいいですね。
歴史調査だけではありません、企業でも社会でも一人ひとりの意見の発信はとても貴重で、聴く価値のある大きな意味を持つはずです。
私もそのような社会実現のために、微力ながら頑張っていきたいと思います。
橋本圭司