高田崇史さんの『鬼神伝 鬼の巻』を読みました

講談社文庫より出版された高田崇史さんの『鬼神伝 鬼の巻』を読みました。

内容はネタバレにならない程度に書くと、主人公の少年がある日平安時代に飛ばされ、
「鬼」と貴族たち「人」が激しく争う世界に飛ばされるもので、非常にファンタジー色が強いです。
なぜ、突然このようなファンタジー小説をここで紹介しているのかと思われたかもしれません。
著者の高田さんはこれまでQEDシリーズ等サスペンスものを含め、鬼や河童等、古事記や地域の伝承等に登場する神々をテーマに巧妙にストーリーを組み立てられる方です。
単なる小説ではなく、読んでみて歴史の見方が変わる新たな視点を提供してくれるような、非常に興味深い考察や研究結果を披露され、大変面白くいつも読ませていただいています。
この小説は、それら考察の導入部もしくは、まとめのような内容で読みやすく感じました。
高田さんのこれまでの様々な小説で一貫して発信しているメッセージは、「鬼」というのは、朝廷に従わなかった本来日本に古来より住んでいた人々だということです。
坂上田村麻呂に敗れた阿弖流為(アテルイ)もそうですね。
こちらは、高橋克彦さんが書かれた『炎立つ』でご存知の方も多いかと思うお話です。
鬼神伝に印象に残るメッセージがありましたので、最後にここだけ整理して紹介させてください。
p180~1を改編
どうして節分には鬼に豆をぶつけるのか?どうして河童はキュウリばかりを食べているのか?どうしてテルテル坊主は軒先に吊るされているのか?どうして雛祭りで人形を飾るのか?どうして天邪鬼やおとろしの指は三本しかないのか?
きちんと調べればわかることなのに、私たちの時代の人たちは、誰も真剣に調べようとしていない。
だからこそ、自分で調べてほしい。答えが分かったら、たった一人きりでもいいから声をあげてくれ。
まとめるこんな内容のメッセージです。これまで、高田さんの本を読み続けてきて、このメッセージが一番ずしりと来ました。
以上私の書いたことで、興味を持たれた方がおられればぜひ高田さんの著書一読ください。
まず、鬼神伝、それでこの節分の話等の高田さんの考察を知りたければQEDシリーズ等を読んでいただきたい。
歴史の見方に、新しい次元が加わることは保証します。
『鬼神伝 神の巻』という続編があるのですが、講談社文庫で出版されるのを楽しみにしています。
ちなみに、この『鬼神伝』、アニメ映画が公開されていたのですね。知りませんでした。
なんと、声優陣がすごく豪華でびっくりです(笑)
すごく、観たいです(予告編URL貼りました)。
橋本圭司

『田舎のパン屋が見つけた 「腐る経済」』を読みました

渡邉 格さんという方の著書『田舎のパン屋が見つけた 「腐る経済」』
という本はとても素晴らしい本でした。
p22
「真っ当な”食”に正当な価格をつけて、それを求めている人にちゃんと届ける。それで世の中を少しでも真っ当な場所にしていこう」
との決意で、天然酵母のパン作りに励む著者が書かれた本です。
マルクスの「資本論」と酵母やパン作り、地域活性の話が非常に面白く組み合わされた特別な本だと思います
以下、私が印象に残り、かつ、この本の伝えたいメッセージの魅力がとても感じた箇所を一部抜粋します。
この内容を読んで、興味を持たれた方、面白い意見だと感じられた方、ぜひこの本を読んでみては如何でしょうか。
読めば本当に自分の価値観に何か変化があると思います。
韓国でもよく売れているとのことで、ドキュメンタリー作成の話もあるそうです。
p177
「利潤」ではなく、「循環」と「発酵」に焦点を当てた、「腐る経済」に挑んでいる。
p224
「人生はいっぱいの酒に如かず」。懸命に働いた後の美味しい食べ物と美味しい酒があれば、人は楽しく豊かに生きていけると思うのに、資本主義経済は、「腐らないおカネ」を増やすことに躍起になって、働くことと食べものをどんどん壊している。なんでこんなことになるのか?
 僕らは、自分たちが食べたいと思えるものを守りたくて、暮らしと仕事が一つになった人生を歩みたくて、パンという武器を取ったのだと思う。
p225
僕らの思いに共感してくれた人は、ぜひ、未来への一歩を踏み出してほしいと心から願う。できれば、田舎で僕らと同じ闘いに挑む人が増えてほしい。それに限らなくとも、自分の「内なる力」を高め、土や場をつくることに意識を向ける人が増えてほしい。
p226
場が整い、「菌」が育てば、食べ物は「発酵」へと向かう。それと同じで「小商い」や「職人」が育てば、経済も「発酵」へと向かう。
私たちは、自分たちの子どもの世代にどういった日本、地球を残したいか、一人ひとりがきちんと考えるべき問題だと強く感じます。
最後に、このパン屋のURL添付します。鳥取県に店舗を移動するそうで、現在はお休みしているそうですが、今後の活躍が楽しみです。
橋本圭司

高倉健さん遺作 映画「あなたへ」を見ました ネタバレ【要注意】

高倉健さん主演の映画「あなたへ」を見ました。

高倉健さんということでなにか懐かしいような気がしてWOWOWで録画してあったものを家内と一緒に見ました。

だいたいのあらすじは、高倉さん演じる刑務所の看守倉島英二が亡くなった妻倉島洋子(田中裕子)の遺言に従って、洋子の故郷平戸まで散骨の旅にでるというものです。

平戸の郵便局局留でしか受け取れない仕組みになっているもう一通の遺言状の存在が視聴者の興味を最後までつなぎます。

その遺言状ですが、結局、最後の方で「さようなら」としか書いていないということで、期待した割には、肩すかしのような結論ではあったのですが・・・。

(これは人それぞれに評価は分かれることと思いますが、私は、何か物足りない気持ちになりました)

要するに、映画のジャンルとして云うところのロードムービーということになります。
「ルート66」の老年バージョンといっていいかもしれません。

もうすっかりおじいさんが板についた高倉健さんの風貌といい、全篇通じて「年齢(とし)をとるとは」、「夫婦とは」、「人生とは」という重たいテーマがてんこ盛りです。

しかし、この映画の中では高倉健さんいたって元気です。

映画が封切られたのが2012年8月25日、高倉健さんが亡くなったのが2014年11月10日ですから、この映画を見る限り、実年齢は別としてまだまだ若過ぎる死のような気がしました。

この映画で共演している大滝秀治さんもこの映画の収録直後に亡くなっておられます。肺癌だったとのことです。また、高倉健さんと生前、親交があることで有名な愛川欽也さんも、つい先だって訃報を聞いています。

愛川欽也さんで思い出すのは菅原文太さんですが、菅原さんも、やはり先日亡くなりました。

愛川さん、菅原さん、高倉さんと、皆さん、高齢にもかかわらず晩年まで元気にされ、急に体調を崩して亡くなるというパターンだったとのことです。最後まで充実していたとも思えますし、ご本人としてはまだまだ志半ば、やりたいこともあったのにと思われたかもしれません。神ならぬ人にはどうすることもできない問題ではありますが、「三丁目の夕日」世代としては、まこと、さびしい限りです。

話しを戻します。

この映画の最後の方で、佐藤浩市さん演じる、主人公が旅の途中で「たまたま」知り合った「ふるさと弁当」の実演販売職人さん、実は以前は主人公の亡くなった奥さんの郷里である平戸で漁師をしていたのが、思わぬことで多額の借金を背負い、その借金を解消するために漁にでて遭難を装い保険金を家族に残した人であったことが最後になって(視聴者に)判明します。

びっくりするくらい面白くもないのですが、高倉健さんを懐古しながら見るのにはふさわしい、しっとりとした味のある良い映画だなと思ってみていたのですが、この脚本にはちょっとがっかりしました。

いくら映画だと思って、多少つじつまが合わいところがあっても、「まあ、固いこと云うな」と、頭の中の「ぶつくら細胞」を抑えこんで見ていたとしても、こんな「絶----対に!!! あり得ない」 話が出てきては、もう抑えきれたものではありません。

だって、散骨のため、亡き妻の郷里平戸に向けて富山をでて、京都の手前当たりで、たまたまパーキングエリアで車が故障したと言って弁当の実演販売の手伝いを頼んできた厚かましい男が草薙剛で、その相方の佐藤浩市が、目的地平戸で世話になることになる大衆食堂の女将の分けありの旦那だったなんて・・・。

そんなことが起こるなんて信じられますか?

「こんな偶然有るわけないよな」

と、隣で見ていた家内に言うと、喧々諤々、果ては、知り合いのペケペケ先生は浮気相手の彼女と行ったディズニーランドでご近所さんの一団に遭遇したけど、それはディズニーランドという人気スポットだから起こったような話で、こんな偶然の出会いなど絶対に起こるわけないなどと、いらん実例話まで飛び出して、せっかく、しんみりと締めくくりたい映画なのに、そんな感慨、吹っ飛んでしまうのではあります。

映画なんていうものは、大勢の人で作るのに、この映画を作る時、誰も、「こんな話はあり得ないから、脚本、変えた方がいいですよ」なんて、云わなかったのでしょうか?

監督か脚本家が怖い人で、言えなかったのでしょうか?

以前、リュック・ベッソンの映画で、地球の衛星軌道上にある宇宙ステーションの扉を開けて、そこから飛び降りてスカイダイビングで地球に戻ってくるという場面があった時も、「誰も(物理学的にこんな話あり得ないと)云わなかったの・・・?」と思ったものではあります。

リュック・ベッソンさんも、怖い人なのでしょうか?

このリュック・ベッソンさんの映画のこともそのうち書きますので、乞うご期待。

『96時間 レクイエム(非情無情ロング・バージョン)』を見ました 【要注意】ネタバレです

『96時間 レクイエム((非情無情ロング・バージョン)』を見ました。

ネット上で「あまり面白くない」というネガティブな評判が目立っていたので、あまり期待せずに(ウソです)見たのですが、どうして、どうして、なかなか面白く見ることができました。
もちろん、前回までの2回がトータルなハッピーエンドであったのに対し、すでにネットで十分過ぎるくらいに広がっている「お母さん(つまりリーアム・ニーソン扮するブライアン・ミルズの元妻)が亡くなる」という『非常、無情』が冒頭から飛び出すので、とてもハッピーエンドというわけには参りません。

とはいうものの、リーアム・ニーソン扮する主役ブライアン・ミルズの相変わらずの無敵ぶりには変わるところなく、あいかわらずのスーパーマンぶりで、最後には『無事』敵討ちに成功するという点では変形バージョンではありますが「ハッピーエンド」といっていいのではないかと思います。

今回の作品で特筆するべきは、元奥さんの殺害容疑者として警察から追われるリーアム・ニーソンを執拗に追いかける刑事ドッツラー(フォレスト・ウィテカー)の登場ではないかと思います。

全篇通じて、追う者、追われる者の立場を超えての、「むむっ、おぬし出来るな」といった感じの「乃木将軍とステッセル」的感慨満載といった感じではあります。このあたり、の感覚は標準的日本人にもけっこう受けるのではないでしょうか。一昔前の話ではありますが、ハリソン・フォード版「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズ演ずるジェラード刑事を彷彿ともさせます。

フォレスト・ウイテッカーという俳優さんですが、ドラマ「クリミナルマインド」のスピンオフバージョン「クリミナルマインド・レッドセル」で活躍していますが、クリミナルマインドでも本作品でも、「敏腕刑事」という設定が同じだけでなく、作品中での行動パターン、人格、立ち位置、仕草にいたるまでがまったくのうり二つであったのが気になって気になって仕方がありませんでした。きっと、ウイテッカー自身、この役どころが非常に気に入っているのかなと思われます。そういった意味では、役作りというかキャラ立ちといった意味合いでは、ウイテッカーさんにとってはきっとこの仕事、けっこう美味しい仕事であったのではないかと思います。

スーパーマンを、一度、演じると役柄のイメージが固定して、それから先、碌な役に恵まれないという「スーパーマン役者のジンクス」とかいったような話もありますが、「定番」の役柄がつくというのは、役者にとって、少なくともビジネスとして、悪い話ではないでしょう。

それにしても、映画の最後、ウイテッカーがニーソンに「最初から犯人だとは思っていなかった」というシーンがあり、その理由が、「事件現場に残っていたベーグルがまだ温かかった。これから殺人をしようという時に、温かいベーグルを買うヤツなんかいない」というのには、ずっこけてしまいました。

「続篇はあるのか?」との問いに、ある時は「有るかもしれない」 と答えたり、別の時には「ない」と答えたりしているというリーアム・ニーソン。出資者の都合もあるので、主役だからと言って簡単には決められないのでしょうが、せっかく、ウイテッカーという「伴侶」を得たことでもあり、もう一作くらい頑張ってもいいのではないかと思います。あまりやり過ぎると「水戸黄門」シリーズのようになりますから、後、一作くらいでしょうか。

映画・ドラマ見聞録 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」♯1 

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(主演トム・クルーズ)
ジャンルとしてはタイムスリップものですが、ストーリーの中でのタイムスリップの扱い方がオーソドックスなタイムスリップものとひと味もふた味も違っていて新鮮味を覚える作品でした。同じような手法、映画「ミッション8ミニッツ」にも使われています。

SDSにも記してあるように、ここから先は「ネタバレ」そのものです。まだ観たり読んだりしたことがなくて、先の楽しみにとっておきたい方は絶対立ち入り禁止とさせていただきます。
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All you need is kill

出来はあまりいいとは思わなかったのですが※1)昔懐かしい「戦国自衛隊」を始めとして時空を超えて主人公が活躍するタイムスリップ設定は映画や小説などにしばしば登場してきました。称してタイムスリップものといいます。

最近の傾向として、こうした設定は純粋にSFと呼ばれるジャンルの作品にとどまらずロマンやメルヘン、ファンタジーの分野にも幅広く進出しているようにも思われます。時空を超えるという意味合いで日本の古典芸能「能」が情念的とはいえかなり以前から先鞭をつけています。

「歴史にイフはない」とか「覆水盆に返らず」など、勧善懲悪の観念までまぜこぜにして、「因果の法則」として、日常、あっさり片付けられてしまうこの世の大原則に対する人々のささやかな抵抗の現れなのかもしれません。

「ミッション8ミニッツ」と「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

これら2つの映画に共通する特徴はタイムスリップを意図的に繰り返し、失敗したらまた元にもどり、今度は別の方法を試して見るという具合に目的が達成されるまで何度でも繰り返すことができるという、非常に「都合のいい」設定ではあります。

たとえるなら、おみくじを大吉がでるまで何度でも引き直すという感じです。

ある意味「ワクワク感」が躍動しています。

さて「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のストーリーを簡単にご紹介します。
映画の出だしで、その時点までのおおよその経緯が、劇中ニュース報道の切り貼りという手法で紹介されていきます。

時代は近未来。
世界は奇怪な宇宙生物の侵略に直面していました。
戦いはすでに数年間続いていてヨーロッパはイギリス以外は全部壊滅しています。あたかもこちらの動きを予測しているかのように先手先手を打ってくる敵勢力の前に人類は押しまくられているという状況です。
「こちらの動きを予測しているかのように」という表現が、しばらく見ていくと一種の種明かしになっていたことがわかるのが、一種のご愛嬌です。

しかしながら、絶望的になりかけた人類にかすかな曙光が見えてきたというのです。「ヴェルダンの奇跡」ともてはやされる大勝利を勝ち取り、エイリアン相手の戦いにかすかな曙光を見出したというのです。
「新型機動スーツの威力」
「ヴェルダンの女神」
「一日に数百体の敵を葬ったリタ・ヴラタスキ」
などという言葉がちりばめられて英雄的な女性ヒーローの存在が紹介されます。

このあたり、映画を最初に見ている人々は巧みに「ちょっとあさっての方向」に誘導され、あとになって「真相」が判明した時、妙に「感動」することになります。
ハリウッド映画全般にいえることではありますが映画作りが上手です。(脚本が上手なのかもしれませんが)
ザッと背景が紹介された後、いよいよ映画本篇の始まりとなります。
主人公である米軍のメディア広報担当官ケイジ少佐(トム・クルーズ)がロンドンの国際統合軍司令部を訪問します。
この時、ケイジ少佐を搭乗するヘリコプターがロンドンに到着する直前、それまで機中でまどろんでいたケイジ少佐が目を覚ます場面があります。
映画「インセプション」に限らずこうした類の映画を多々見てきた人ならばこの「覚醒」に意味があることはなんとなく察せられるものではあります。(かなりの上級者レベルですが)

思った通り、映画の終了まぎわ、時空旅行の終着地点がこの「目覚め」になるわけです。「覚醒」がメタファーとして新しい再出発や新しい時代の幕開けを意味するというわけです。

最初、臆病で自分勝手、人のことなどどうでもいい自己中のかたまりであったケイジ少佐が映画の終わりのこの場面で覚醒する時には、長い旅路の涯(はて)、強い責任感と目的を達成させる強い意志の持ち主となって覚醒するわけです。結果的にですが、それだけの人間的成長をするのに要した時間はゼロということになります。

さてケイジ少佐を呼び寄せたロンドンの統合防衛軍司令官(ブレンダン・グリーソン)ですが、その用向きというのは、「ヴェルダンの奇跡」を受けて、これから大陸に巻き返し攻勢をかけようとするので、メディア担当官のケイジ少佐率いる撮影隊に部隊より先にフランス海岸線に出向き、そこで部隊が侵攻してくるのを取材せよといういうものでした。
現代においても、湾岸戦争にしろイラク戦争にしろ、戦争はメディア戦略で民心を倦ませないことが重要といいますが、そのあたりの一般人の認識を加味した設定ではあります。

「作戦」というのも、統合軍がフランス、地中海、北欧の3方向から上陸、東から侵攻してくるロシア、中国軍と合流するようにエイリアンを挟撃しようというもので、なにやら、ノルマンジー上陸作戦を髣髴とさせる内容ではありました。ノルマンディー上陸作戦を扱った「史上最大の作戦」を思い出させます。

「ヴェルダンの女神」が「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクに対応し、その後のフランス海岸線での思わぬ苦戦も、「プライベート・ライアン」を彷彿とさせるシーンの連続です。

ある意味、「パクり」の連続ではあるのですが、それでも1つの作品として十分な手応えのある映画ではあります。(人によっていろいろな意見があるかもしれませんが)

「パクり」でさえ上手に組み合わせるなら、立派なものが創造できるというのが今日の教訓といえば教訓でしょうか。