保護ネコちゃんが家族になりました♪

これまで、所長も私も、親族一同『犬派』でしたし、常にワンちゃんは一緒にいましたが、ネコちゃんはまるで理解不能な生き物として、さほど接点もありませんでした。

ですので、猫と生活を共にすることは、一生無いでしょうと漠然と思っていました。

ところが、まるでドラマのような展開で、写真の女の子が家族となりました♪

以前から、ご近所のガレージで、大柄な猫をよく見かけていました。
そして今年の夏から、一匹の小さな仔猫を連れているようになりました。

ところが、8月のお盆過ぎの暑い日の朝、ガレージの車の下で、大柄な猫が亡くなっており、以来、仔猫はひとりで過ごすようになりました。

幸い、ガレージのお向かいのかたが軒を貸し、時々ご飯もあげていらっしゃるようですので、何となく安心していました。

けれどもだんだん秋めいてきますと、夜は冷え込んできます。
加えて、台風もいくつもやってきまして、ある台風が過ぎた翌朝は、倒れたカートの中にうずくまり毛も汚れている状態でしたので、不憫に思う気持ちが募りました。

そこでついに、所長と共に、ダンボールと洗濯袋(ネット情報でそれが有効と書いてありました)を手に、仔猫の保護にチャレンジしました。

ところがあえなく失敗に終わり、それからは私たちに近付いてくれなくなりました。

そうこうするうちに、秋はさらに深まり、どうしたものかと考えていましたが、
先日、私がワンちゃんのお散歩をしていますと、見知らぬ女性から、声をかけられました。

「橋本先生の奥さまですね?」
「はい、そうですが・・・」
「もしかして、この辺りでよく見かける仔ネコちゃんを飼いたいと思われていますか?」
「え!・・・はい・・・」
「じつは私は、近くの家の3階に住んでいる者ですが、先生がダンボールを持ってネコちゃんを捕まえようとされているのを窓から見ていたのです。それでずっと気になっていたのですが、私は明日、入院をしますので、ちょうど今ここでお見かけし、今しか言う時が無いと思い、お声をおかけしました」
「ありがとうございます・・・?」
「私は、ネコちゃんにご飯をあげているYさんと連絡がとれますので、その旨伝えておきます。Yさんなら、ネコちゃんは慣れているので逃げませんし」

・・・というような流れで、Yさんのお宅に伺うこととなりました。
Yさんからは、その翌々日に、ボランティアグループに避妊手術の予約を入れていること、そのグループは、飼い主のいない猫の不妊手術を行い、手術済みの印を耳に付けて放すのですが、里親になっていただけるなら、印は付けずに返してもらうことなどのお話しを伺いました。

Yさんは、長年そうした活動をなさっており、亡くなった大柄な猫も不妊手術をしていましたので仔猫ちゃんと親子ではないこと、そして、
「どこかから仔猫を連れて来たので、一緒にご飯をあげていたんですよ。
何度か連れて来て、最後に来た時は、自分はご飯を食べずに、じーっと私の顔を見てから、仔猫を置いて去って行ったんです。
そしたら翌日、ガレージで死んでたんですよ」
と、おっしゃいました。

そして流れのままに、不妊手術から帰って来ました仔猫は、わが家の家族となりました。

猫未経験のため、飼い方はまるでわかりません・・・
今のところ、手術の傷が落ち着くまでは、あまり動き回らないようにケージから出さないようにとの注意を受けていますので、手はかかりませんし、おトイレは教えなくとも几帳面にしてくれます。
とても大人しい女の子です。

先住のワンちゃんも、保健所から来た子ですが、http://京都産業医.com/blog/%e3%81%82%e3%82%8b%e7%8a%ac%e3%81%ae%e3%81%8a%e8%a9%b1%e3%81%97/とても大人しくて、全くいたずらもしない子ですので、突然やってきました仔猫に、吠えたり威嚇したりすることもなく、ケージ越しに、不思議そうに眺めているだけです。

ケージから出して、いよいよ本当に家族としての生活が始まり、ワンちゃんも仲良くしてくれることと楽しみにしています。

(橋本由美)

生きてることが辛いなら

森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という歌を、最初に耳にした時には、
「なんてヒドい!」と、衝撃を受けました。

けれども、最後まで聴いてみて、また何度も聴いてみるうちに、これは、『傷付いた魂への優しいエールやわ』と感じるようになりました。

皆さまは、どうお感じでしょうか・・・

森山直太朗作詞
『生きてることが辛いなら』

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気がつきゃみんな年とって
同じとこに行くのだから

生きてることが辛いなら
わめき散らして泣けばいい
そのうち夜は明けちゃって
疲れて眠りに就くのだろう
夜に泣くのは赤ん坊
だけって決まりはないんだし

何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る生命だから

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ

生きてることが辛いなら

(橋本由美)

2017年の送り火

昨日8月16日は、京都・五山の送り火が灯される日でした。

お盆で現世に来てはりましたご先祖さまの魂が、あの世へ還って行かれるのを、送り火を焚いてお見送りします。

終戦記念日の翌日が、お盆の最終日となることには、何か天の采配を感じます。

毎年その年ごとの思い出がありますね。

子供の頃は、お盆休みも無く働いていました両親と、まだ健在でした祖母や、住み込みの人達とともに、点火時刻に合わせて自宅の屋上に上り、建物の黒いシルエットの隙間から、小さく小さく見える送り火を眺めていました。

私が成人しました頃には、世の中は好景気に沸き、毎年家族揃ってドレスアップし、リーガロイヤルホテルの最上階・回転レストランでディナーを楽しみ、ワインを飲みながら、レストランがゆっくり一周まわる間に、五山全ての送り火を鑑賞するというスタイルになりました。

やがて、結婚後は、その会に、お舅さんお姑さんも ご一緒するようになり、息子たちが産まれ、弟たちの家族も増え・・・

そのうちに、家族のみならず、その年々にご縁のありましたお客さまもお招きするようになり、どんどん人数が増え、にぎやかなパーティーとなりました。

しかしやがて、祖母が亡くなり、お舅さんもお姑さんも亡くなり、お招きしていましたお客さまも何人かの方々が、天に召されました。

だんだんと実家の家族はばらばらになり、集うことも無くなり、いつしかそのスタイルは変わり、9年前からは、母が数人のお客さまを、グランヴィアホテルのフレンチにご招待し、静かに送り火を鑑賞するという会になりました。

そして私は、そこからも離れ、自宅で孫たちと過ごすようになりました。

私の今生の人生にも色々な歴史があったんやわ~と、毎年こうして、昔からのこの日を思い浮かべます。

そして今年は、ふとした思い付きで、家の屋根裏部屋から、大文字がきれいに見えることを発見しました。

と共に、屋根裏部屋に眠っていました、息子達の子供の頃の洋服のみならず、主人や私のものまで発見しました。

50数年前に主人が着ていましたツィードのコートは、亡きお姑さんから、「これは惠ちゃんが小さい頃に着てたのよ」と譲り受けましたものの、当時は、二人の息子達に、いつもお揃いの洋服を着せていましたので、出番が無いままに、しまってありました。

この冬には孫が着てくれるでしょうと、それを羽織ってはしゃぐ孫の姿に目を細めつつ、「きっと、お姑さんが気付かせてくれはったんやね・・・」と、温かい気持ちになれました、今年の送り火の夜でした。

(橋本由美)

祇園祭

京都では、祇園囃子が流れはじめると、「もう夏やな~」との会話が、あちらこちらで聞かれるようになります。

祇園祭は八坂神社の祭礼で、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつです。

1200年余り昔、神泉苑に日本全国の国の数の鉾66本を立て、祇園の神を祀り災厄の除去を祈る祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられ、巡行の最初に行われます「注連縄切り」は、神域への結界を切って、厄を祓いながら進む、という意味があるそうです。

お祭のハイライトは17日と24日に行われる33基の山鉾巡行で、「京都祇園祭の山鉾行事」はユネスコ無形文化遺産に認定されています。

祇園祭山鉾巡行は、平成26年に、7月17日の前祭巡行(23基の山鉾)と24日の後祭巡行(10基の山鉾)の2度の巡行が49年ぶりに復活しました。

1996年には、甥が、稚児を務め、注連縄切りの大役を果たしました。
その縄は、今も、実家に飾られています。
親戚中が、毎日、それこそ「お祭り騒ぎ」の一ヶ月余りでしたが、懐かしい思い出です。

(橋本由美)

今年の桜

この春、京都の桜は、例年に無く開花が遅れましたが、その分、長くゆっくりと楽しむことができました。

冒頭の写真は、出雲路橋からの風景です。

子供の頃から、加茂川の風景が大好きでした。
四季折々に美しく、よく橋から、飽きず眺めていたものです。

こちらもやはり、出雲路橋付近の桜です。

こちらは、上賀茂神社境内の桜です。

そしてこの3枚は、上賀茂神社付近の川沿いの桜♡

木屋町の桜も、しっとりとした情緒があり、美しいですね。

こちらは、哲学の小径の桜です。
幼い頃に住んでいましたので、今も、訪れる度に、懐かしい思い出が蘇ります。

たくさんの桜に癒やされました。
ありがとうございます♡

(橋本由美)

市民講座でお話しをさせていただきました

所長が、市民講座で「訪問診療」をテーマにお話しをさせていただきました。

若い頃のエピソードや、マザーテレサの言葉を紹介しつつ、対談形式で行いました。

インタビュアーは、北山武田病院の総務職員です。
足をお運びいただきましたかたがた、ありがとうございました。

(橋本由美)

2017年初春のご挨拶申し上げます

酉 楽茶碗 桂窯

2017年初春のご挨拶申し上げます。

今年は酉年ですね。
「酉」という漢字は、本来、「果実が極限まで塾した状態」という意味をもつものだそうです。
そこから転じて、「頂点を極める」という意味もあり、また「とりこむ」という音併せから、お商売のかたには縁起が良い年とされているそうです。

本年も、皆さまの人生が、愛と調和に満ちたものとなりますように♪♪♪

酉 香合 桂窯

画像の、干支の楽茶碗と香合は、私の大好きな(人間的にも)、桂窯の檜垣青子さんの作品です。

なんとも素敵な意匠ですね、ありがとうございます♪♪♪

(橋本由美)

鳥は飛ばねばならぬ

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鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ

鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている

そのように人も
一寸先は闇でなく
光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これは、仏教詩人・坂村真民(さかむらしんみん1909年~2006年)の詩です。

2011年3月11日に発生した 東北関東大震災、それにより派生した大津波や原発事故・・・・・・被災地のかたがたのことを思うと、どんな言葉も虚しく感じられ、また私達自身の未来にも、暗澹たる思いが湧きあがってくるような気がしていたあの頃。

そんな時、知人から この詩を教えられました。

今もどこかで苦しんでいる誰かの励みになりますように・・・

(橋本由美)

虹の橋

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この小さな子犬は、生後2ヶ月にもならないうちに、母親から引き離されて、ペットショップのショーケースの中で震えていました。

何故そんな、残酷なことができるのでしょうか。

ただただ、この子に、善き飼い主が現れ、愛情を受けて幸せな生涯を手に入れてくれますようにと、祈るばかりです。

♡♡♡虹の橋♡♡♡

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれる場所があります。

地上にいた頃、愛されていたペットたちは、死ぬとその「虹の橋」へ行くのです。
そこには、草原や丘が広がり、彼らはいっしょになって走ったり遊んだりすることができるのです。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、皆で温かく快適に過ごしています。

病気にかかっていたリ老齢だった子たちは、ここに来て活力を取り戻し、
傷ついたり体が不自由だった子たちも、もとどおりの健康な体を取り戻します。
遠く過ぎ去った夢のように。

彼らは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ満たされない思いがあります。
彼らにとって特別な人、あとに残してきた大切な人と、共にいられないのを寂しく感じているのです。

彼らはいっしょに遊んで時を過ごしていますが、ある日、そのうちの一匹が、ふと足を止めて遠くに目を向けます。

目はきらきらと輝き、体は喜びに溢れて、震えはじめます。
突然、彼は皆から離れて、緑の草地を跳ぶように走り出します。

待ち焦がれていた大切な人を見つけたのです。
やっと再開できた彼らは、抱き合って喜びあいます。
もはや二度と別れることはありません。
互いに愛する友を、優しく撫で続け、信頼にあふれた瞳で見つめ合います。
互いの人生から長い間、姿を消していたけれども、心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。

それから彼らは一緒に「虹の橋」を渡ってゆくのです。

♡♡♡虹の橋のたもとにて♡♡♡

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれる場所があります。

「虹の橋」の少し手前には、緑あふれる谷があります。
大切なペットたちは、死ぬとその場所へ行くのです。
そこにはいつも食べ物と水があり、気候は常に暖かい春のようです。
歳をとって、からだが弱っていたものは、ここへ来て若さを取り戻し、
体が不自由になっていたものは、元どおりの姿になります。
そして一日中一緒になって遊んで過ごします。

けれども、橋のそばには、様子の違うものたちもいます。
疲れ果て、飢え、苦しみ、誰にも愛されなかった動物たちです。

他の子たちが一匹、また一匹と、
それぞれが、かつて愛し愛された人と一緒に橋を渡っていくのを、寂しそうに眺めています。
彼らには愛し愛された人などいないのです。
生きている間、そんな人間はだれひとり現れなかった・・・。

しかし、ある日ふと、橋への道の傍らに、誰かが立っているのに気づきます。
彼はそこに繰り広げられている友の再会を、羨ましそうに眺めています。
地上に生ある間、彼はペットと暮らしたことがありませんでした。
彼は疲れ果て、飢え、苦しみ、だれにも愛されなかったのです。

そんな彼がポツンと立っていると
愛されたことがない動物が、どうして一人ぼっちなのだろう、と近づいて来ます。

愛されたことがない動物と、愛されたことがない人間が、互いに近づくにつれ、奇跡が起こります。
なぜなら、彼らは一緒になるべくして生まれたからなのです。
地上では巡り会うことができなかったけれど、特別な人と、大切なパートナーとして。

今、やっと「虹の橋」のたもとで彼らの魂は出会い、痛みや悲しみは消え、友は一緒になれるのです。
そして、いっしょに「虹の橋」をわたり、もう二度と別れることはありません。

(橋本由美)

絵を描くということ

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私は、幼い頃から、絵を描くことが大好きでした。

正式に習ったことはありませんが、いつも心のおもむくままに、描くことを楽しんでいました。

ところが、やがて大人になり、「義務」として描かなければならない必要が生じてきました。

年に一度のチャーチル会作品展に出品するための絵や、某季刊誌の裏表紙のイラストなど・・・・・・・

そしていつも、締め切りぎりぎりまで何を描くか迷いに迷い、時間切れで、手抜きの絵になってしまうこともしばしば・・・・・・・ そんな時は、なんだか後ろめたい気持ちを引きずってしまいました。

けれども、ホ・オポノポノを初めてから、「頭で考える」ことをやめました。
天にゆだねて、インスピレーションが降りてくるのを待つのです。

そうすると、不思議なことに、ちゃんとゆとりをもって描くことができ、清々しい満足感を感じることができるようになりました。

何より、とってもラクです(^_^)

冒頭の絵は、昨夏の某季刊誌のために描いたものです。
「アマガエルちゃんが描きたい!」とのインスピレーションが降りてきたのです♪

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そしてこちらは、この夏のもの。

次は、何が降りてくるのか、楽しみに待っています♪

(橋本由美)