ある犬のお話し

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2011年に、我が家の家族となりました福ちゃんは、 保健所で殺処分される予定の日の朝、ボランティアのかたに救い出された子です。

その後、里親募集をされているTwitterで、この子の写真と目が合ってしまい、思わず「はい!」と手をあげたのです。

ボランティアのかたに連れられて来た当初の福ちゃんは、まるで骨格標本のように痩せこけ、全身ダニだらけで毛並みはボロボロ、声は出ず、後ろ足は麻痺していました。

大変な子を引き取ってしまった・・・・とも思いましたが、やがて、獣医さんから「骨盤が折れているので、一生治らないでしょう」と言われていた麻痺は、奇跡的に、ほぼ完治し、声も出るようになり、今では、かけがえのない、甘えん坊の うちの娘です。

下記のリンク「ある犬のお話し」は、とても悲しい現実です。

もし、ペットを飼おうとお考えのかたは、どうか、保健所(シェルター)に収容され、殺処分を待つばかりの子を、選択肢に入れてください。

心からのお願いです。

https://www.youtube.com/watch?v=9PSNxO4zU6M

(橋本由美)

観葉植物

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長男が、大学に入学し、東京で初めての一人暮らしを始めた13年程前、
殺風景なマンションに彩りをと、私が、京都から新幹線で、ひっくり返らないよう気遣いながら持って行った鉢植えです。

今は、息子夫婦の住む家のリビングにあります。

大学を卒業後、大学院を経て、就職、京都へ戻って再び大学院を経て、結婚、父親になり、就職・・・・・その姿をずっと見てきてくれました。

一人で悩んだり迷ったりしたこともあったでしょうが、いつも傍で見守ってきてくれました。

植物にも、感情があり、アイデンティティがあると信じています。

愛しいです。
どうもありがとう♬

(橋本由美)

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

生け花と海の絵

平家物語の「敦盛」の中に、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」との一節があります。

織田信長が、桶狭間での出陣前や、本能寺の変の時に、この節を含む幸若舞を舞ったことで知られていますね。

現代では、「人生は50年間程度のもの」と解釈されることもありますが、実際の意味は、微妙にニュアンスが違い、
「人の世の歳月の50年は、下天(天界では一番下の階層の世界、一日が人間界の50年とされています)の時間軸に比べれば、夢幻のように儚いもの」と解されます。

ですので、「人生は、宇宙の時間軸からみれば、ほんの一瞬のことですから、目の前の出来事に一喜一憂することなど意味無いのですよね」という捉え方もありますが、やはり、たとえ一瞬の時間であっても、この世に生まれてきたことには意味があるのですね。

泣いたり笑ったり、喜びも悲しみも、あらゆる感情をも体験し、最終的には、「愛」を学ぶために今生があるのでしょうと思います。

イエス・キリストも仏陀も、天界にいるだけでは体験のできない「人間の苦しみや悲しみ、それらを通して学ぶ゛愛゛」を実体験するために、この世に生まれてきはったのでしょうと、私なりに理解しています。

目の前に起こる出来事は、ネガティブな感情も含め、しっかりと受け止めつつ、クリーニングを続けることが大切なのでしょう。

それらを通し、最終的に「愛と調和」を学ぶために、私たちは、生まれてきたのですから。

Peace of I ♪♪♪

(橋本由美)

人脈とは何か

ネットワーク科学という分野があります。

これは、インターネットや経済、細胞などの生命活動から人間関係まで多くのネットワークには類似性があるのではないか、という視点で研究が進んでいる科学です。その研究の中でたいへん面白いネットワークの形がわかってきています。

ここでは詳しい説明は省きますが、ネットワークがどのようなものか身近な例で説明します。
Aさん(世界中の誰でもいい)がBさん(同じく世界中の人からランダムで選ぶ)に手紙を人づてに届けようとした場合、自分以外に平均して5人程介すると届いてしまう、というものです。

『六次の隔たり』と言われています。
どうしてこうなるかというと、世の中には隣近所だけ知っている人がいる一方で、世界中に知人を持っている顔が広い人間も多くいるため、そうした人々が世界中の人の距離をグッと縮める役割(ハブ)を果たすからです。
これは実際にアメリカの大学やドイツの新聞社等が実験してみた結果、ある程度実証されているそうです。
SNSやインターネットが浸透したため、最近はより少ない数になっているとも言われます。

「この人とあの人が実は知り合いなの?」といったことが、あなたの周りの人間関係にもありませんか?
そんなことを考えていると、私が大学時代にゼミ入試に落ちた時の事を思い出しました。
当時、まさか落ちるとは夢にも思っていなかったため、落ちた時は非常にショックでした(笑)。
その後、友人達から「あそこは高校等下から上がってきた人がネットッワークを駆使して、優先して入りやすいゼミだ」と聞き、がっかりした記憶があります。

そのため、滑り止めのゼミを探すか代わりに何か別の独自の道を選ぼうと考えました。
ただ、ゼミ入試を辞めたからといって、何をしたらいいのか皆目見当がつきません。
そこで、ある友人に相談しました。その友人は、学生団体の大がかりなイベントを企画して大手企業からスポンサー契約とってくるようなバイタリティのある人物でしたので、そのネットワークの広さの秘訣を尋ねると
「友人の友人で、この人は面白い事してるよ、という人を探して紹介してもらう。それを延々と繰り返す」
とのことでした。
実際私も早速挑戦してみると、いきなりインターン先を紹介してもらうなど、上々の成果を挙げることができました。

この方法は、本気で取り組めば効果絶大です。
しかし注意しなければいけない点があります。
果たして「Aさんの紹介で貴方のことを知りました。友人になりましょう。それから、誰かお知り合いで面白い方はいませんか?」と近付いてくる人とすぐに仲良く付き合えますか?
これは極端な例ですが、人脈を広げようと頑張れば頑張るほどこの様な印象を相手に与えてしまいがちです。
それに、何よりその相手の方にも失礼ですね。

ですので、最近は人脈が広いか否かは全く問題ではないと考えるようになりました。
そもそも『脈』という漢字は、左の『月』が『にくづき(肉月)』と呼ばれる部首で、肉体に関する漢字に使われ、右の『爪』に似た形の部分は、川から支流の分かれ出た姿を描いた象形文字だそうです。
『人脈』という漢字の意味は、人の体の中から広がっていくものだという印象を私は受けます。
血管のように人にとって最も身近な大切なものであり、外面に表れたあたなを表現する体の一部。だからこそ今いる身近な人を大切にして、お互いに知り合えた事をただただ感謝しあえるような関係を一つでも持てればいいのではないでしょうか。

それはただ顔と名前と連絡先だけ知っているような関係をどれ程沢山持っているよりも、遥かに価値があることだと思います。
そういった尊い関係がきっかけとなり、「この人なら自信を持って推薦できる」と広がっていくのなら、これこそが真の意味で『人脈が広がる』ということでしょう。
『広げる』のではなく『広がる』のです。
それに、たった5人を介したら誰とでも繋がれる世の中。そんなにあくせくしなくてもいいとは思いませんか。

(橋本圭司)

MECEの実現に関して

コンサルティングの分野で頻繁に言われるMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)というキーワードがあります。

これは要するに、何かを分析・検討する際に「重複なく」「抜けなく」しましょうという意味です。

その一助となるのがマーケティングの4P(Product/Price/Place/Promotion)や、SWOT(Strengths/Weeknesses/Oppotunities/Threats)といったフレームワークとなります。

営業戦略や経営戦略に携わる方は、こうしたフレームワーク関連について学ぶ機会が多いでしょう。

「とりあえず、これらのフレームワークでやってみよう!」
という場合も多いかもしれませんが、その前に少し考えてみましょう。

この分析・検討結果がMECEであると、どうやったらわかるのでしょう。

そもそも、「ここからここまでの範囲の中で重複なく、抜けがないように」という、『考える範囲』を関係者が共有していなければ話しになりません。

意外とこの点が抜けたまま議論される場合が多いのです。

例えば、眼鏡販売店がSWOTで、自店舗の脅威になるものを検討した時に、ある人はライバル眼鏡店のみを見ており、実は他の人はレーシック等の視力矯正手術まで念頭に入れて議論しており、お互いにそのズレに気付いていない場合があります。(眼鏡そのものだけならそれほどズレないかもしれませんが)

インドには、盲目の方々が同じ一頭の象を触りながら、鼻を触った人が「樹の枝のようです」、足を触った人が「柱のようです」、耳を触った人が「扇のようです」等と答えたという寓話があります。

皆正しいのです。ただ、触っている部分が違う、そして全容を把握できないがゆえに食い違ってしまうのです。

それでは、皆が全容を共有することはできるのでしょうか。

それはできません。

人は性格も、価値観も、これまで歩んできた人生経験も全て異なります。家族間でも完全な共有は不可能です。そもそも同じ色を見て「赤」だと皆が言っても、実際に見ている色が同じかどうかはわかりません。

教育や文学で著名なジョージ・バーナード・ショウもこのことについて
「コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である」
と述べています。

意思の完全な疎通は幻想です。

企業においても、関係者全員が完全に議論の結論や意図を、同じ質・内容で共有することは不可能です。

しかし、完全に一体となって共有することは不可能でも、手を取り合って同じ方向に向かい、ペースを合わせて進んでいくことは可能です。(イメージとしては二人三脚のようなものでしょうか)

そのためには、「そもそも、SWOTを今する理由はなんだろう」「この議論はなぜ開く必要があるのか」といったように、皆が何度も立ち返ることのできる機会を作る必要があります。

そして、これは本来コンサルタントに期待されている最も大きな役割なのです。

難しい分析を華々しく見せるだけで、実行する現場の人間が「それではどうすればいいの?」という状況で終わらせてしまうコンサルタントの在り方は、無責任ですね。

少なくとも、分析した結果を見せる際に、
「私は、今回の対象範囲はこのように定義しています。」
とMECEであるための、自分の考えている範囲をしっかり説明できないような場合は、関係者との認識を擦り合わせる機会がないまま話しが平行線になる可能性が高くなります。気を付けなければならないと考えています。

人生における人間関係も、これに通じるところがありますね。

(橋本圭司)

大殺界は大幸界

アメリカでバーベキューソースの会社等を経営されているYさんには、学生時代から多くのことを教えていただきました。

印象に残っている言葉を、少しご紹介します。

・「一儲けのためには人儲け」
お金というものは勝手に足が生えて歩いてくるものではない。大概はお財布に入って人様にくっついてくるもの。
だからこそ、成功するにはお客さんに好かれなければならない。人が沢山集まるようにすれば自然とお金は入ってくる。

・「大殺界は大幸界」

これは、京都で料理店を営んでいらっしゃるYさんのお姉様から伺いました。

ある時、常連のお客様が
「私、今年大殺界やねん。どうしよう。。。」
と言われた時、
「”だいさっかい”というのは”大幸界”と書くんやから、むしろ喜び!」
とアドバイスされたそうで、そのお客様は気分が変わり喜ばれたそうです。

このように漢字を少し変えて見るだけで、これ程意味が変わるのだと面白く感じました。
そう考えてみると、他にも色々ありますね。

「顔晴る(がんばる)」という漢字を使う方もいらっしゃいます。

ずいぶん前になりますが、某清涼飲料水のCMで
・コップ半分まで減った飲料水の映像と共に「人生は所詮考え方しだい。例えばこの○○。半分しかないと思う?半分もあると思う?いいほうに考えよう」
・逆立ちしようとしてこける等の格好悪い映像がいくつか流れた後、「失敗だと思う?おいしいと思う? いい方に考えよう」
といったテロップが流れるというものもありました。

仕事においても家庭生活等のプライベートにおいても、本当に豊かな方は、こうした思考の転換が上手いように感じます。

生まれつきの性格の方もあるかもしれませんが、お話を伺っていると、多くの人が後から自分の努力で意識的に習慣付けています。

心配せず諸事に心を配り、後はいい方に考える。
これを自然体で行える。

こういった精神的な強さこそ、真の強さなのでしょうし、これは後天的に身につけられるものなのだと信じています。

(橋本圭司)

本多政重の生き方

関ヶ原合戦前後に、さほど有名ではありませんが興味深い人物があります。

その人物とは、本多政重。

徳川家康の参謀である本多正信の次男として誕生し、12歳で家康の家臣倉橋長右衛門に養子なるも、2代将軍秀忠の乳母の子を喧嘩で斬り殺してしまいます。
結果、罰を受ける前に出奔することになりました。
その後
大谷吉継
宇喜多秀家
福島正則
前田利長(1回目)
上杉景勝
前田利長(2回目)
と、その生涯でなんと有力武将ばかり7回も主替えをしています。

彼が宇喜多秀家に仕えていた時には2万石という高禄をもらっていました。
この時の宇喜多家はお家騒動で半分裂状態のまま、関ヶ原合戦に西軍として参加するはめになります。
ここで宇喜多軍を支えた武将の1人が政重でした。
敵は実父が仕える家康軍でしたが、彼の活躍はすさまじく「あれは何者ぞ」と家康に言わしめた程でした。
結局西軍は負けてしまうのですが、政重はその後前田利長に仕官することに成功します。

しかし、旧主である秀家が家康の処分をうけることになり、死罪は確実と考えた政重は秀家に殉じようと前田家を飛び出しました。
このことから、決して薄情な人物ではないことがわかります。

ところが政重の予想に反し、秀家は八丈島流罪で生きながらえることになり、昇った梯子を外された状態となり居場所がなくなった彼は、そのまま前田家に戻らず上杉家に仕えることになります。
そこではなんと上杉家の参謀ある直江兼次の婿養子となり、上杉家を支える人物として期待されることになります。
ところが、当主上杉景勝に嫡男が生まれると、またしても政重の居場所が少なくなってしまいました。

結局最後に選んだ仕官先は、以前飛び出した前田家。
政重に期待された役割は、家康の参謀である父などの、彼の持つ強力なネットワークを使っての徳川家と前田家の緊張緩和。
彼は自分に期待されていた役割を十分に果たしたようで、両家の関係は良好になりました。

その後も、大阪の陣の時では前田家先陣として、NHK大河『真田丸』でおなじみの真田幸村軍と闘い、大敗するという事も経験しています。(一説では徳川軍代表として真田幸村の調略を試みたと言われている)
そして彼は、前田家家老になるまでに本多家を繁栄させた後の1647年に亡くなります。(享年68歳)

私はこの本多政重に魅力を感じます。
彼は、主家を何度も変えているところから、あまり良人気がでる人物ではないかもしれませんね。
同じような人物として、藤堂高虎という人物がいます。

しかし、かつて奉公した宇喜多秀家に殉じようとしたり、2回目の前田家奉公時代でもわかるように、自分の期待されている役割を理解し成果を挙げ、また、過去に世話になった人のために筋を通したりという真摯な面を持っていたように思えます。

自身の理念・哲学に基づいた、自由でいて、それでいてしっかりとした役割をこなし続ける人生。
本多政重の魅力は、こうした生き方を感じさせられる点にあるように思えます。

彼が死後に得た法名は「大夢道中」。
彼は人生という旅路においてどのような夢を追いかけていたのでしょうか。

(橋本圭司)

世界で通じる日本語『もったいない』

12/8を関西や九州の淡島神社は針供養の日としています(関東は2/8)。
これは昔よくされていた針仕事で傷んだ針を神社に納めたり、または普段固いもの
ばかり刺しているからということで柔らかいこんにゃく等に刺して供養する行事だそうです。

こういった行事が今も連綿と続いているということはとてもすばらしいと感じます。

淡島神社ということは、主祭神は少彦名神(スクナヒコナ)でしょうか。

天乃羅摩船(アメノカガミノフネと読みます。ガガイモの実とされています。)に乗って海からやってきた小さな神様で、大国主命の国造りを補佐しました。

医療の神様ともされています。

脱線しましたが、針に限らず、昔の日本人は本当にものを大切にする人々でした。
一説によると、江戸の町は排泄物も含めて90%以上のものがリサイクルされていたそうです。
折れ釘や髪の毛まで何らかの形で再利用されていたんだとか。
その上、江戸の町は同時期のロンドンやパリよりも遥かにクリーンでとても衛生的な町だったそうです。

このような、日本が昔から伝えてきた精神。
最近はどこに行ったのか、ドイツ等を中心とした欧米に比べてリサイクル等を推進する政策も、個人の意識も大きく遅れをとっている様な気がします。

「もったいない」という昔から日本で使われてきた言葉があります。
2004年にノーベル平和賞を受賞された女性環境保護活動家ワンダリ・マータイさんが、日本の「もったいない」という言葉に感動し、現在”mottainai”という言葉を掲げた様々な活動を行っています。
国連女性地位委員会で出席者全員と”mottainai”と日本語で唱和したこともあるそうです。
そのおかげで、今や”mottainai”は世界に通じる言葉になりつつあります。
この言葉を生み出した私達日本人もより真剣に取り組まないといけませんね。

(橋本圭司)

非専門家の役割

歴史学者ではなく小説家である近本洋一氏が著書「嵯峨野あやつり異聞」という小説にて、以下の様な面白い歴史解釈をしています。

京都盆地の西端にある化野念仏寺、そこにある賽の河原。
丁度反対の東端にある銀閣寺、そこにある銀沙灘。
賽の河原と銀砂灘を結んだ同緯度の線状に内裏がある。

応仁の乱で荒れている世の中で、銀閣寺に力を入れたのは足利義政。
銀閣寺の御堂は東求堂という名前。
名の元は六祖禅師の「東方のひと仏を念じて西方に生まれんことを求む、西方のひと仏を念じて何国に生まるるを求めん」という言葉。

義政はこれを新生への祈りと理解し、西の化野念仏寺の”死”に対応し、反対の東に”誕生”を準備すること。
賽の河原から、内裏、銀沙灘という関係を生み出すことで、死と誕生を循環させて都を蘇らせようとした。

位置をGoogle Map を利用して示しました。左○が化野念仏寺で、御所を通って右端が銀閣寺です。ちなみに左大文字、大文字がそれぞれの寺の傍にあります。>

化野念仏寺と銀閣寺の位置関係