映画・ドラマ見聞録 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」♯1 

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(主演トム・クルーズ)
ジャンルとしてはタイムスリップものですが、ストーリーの中でのタイムスリップの扱い方がオーソドックスなタイムスリップものとひと味もふた味も違っていて新鮮味を覚える作品でした。同じような手法、映画「ミッション8ミニッツ」にも使われています。

SDSにも記してあるように、ここから先は「ネタバレ」そのものです。まだ観たり読んだりしたことがなくて、先の楽しみにとっておきたい方は絶対立ち入り禁止とさせていただきます。
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All you need is kill

出来はあまりいいとは思わなかったのですが※1)昔懐かしい「戦国自衛隊」を始めとして時空を超えて主人公が活躍するタイムスリップ設定は映画や小説などにしばしば登場してきました。称してタイムスリップものといいます。

最近の傾向として、こうした設定は純粋にSFと呼ばれるジャンルの作品にとどまらずロマンやメルヘン、ファンタジーの分野にも幅広く進出しているようにも思われます。時空を超えるという意味合いで日本の古典芸能「能」が情念的とはいえかなり以前から先鞭をつけています。

「歴史にイフはない」とか「覆水盆に返らず」など、勧善懲悪の観念までまぜこぜにして、「因果の法則」として、日常、あっさり片付けられてしまうこの世の大原則に対する人々のささやかな抵抗の現れなのかもしれません。

「ミッション8ミニッツ」と「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

これら2つの映画に共通する特徴はタイムスリップを意図的に繰り返し、失敗したらまた元にもどり、今度は別の方法を試して見るという具合に目的が達成されるまで何度でも繰り返すことができるという、非常に「都合のいい」設定ではあります。

たとえるなら、おみくじを大吉がでるまで何度でも引き直すという感じです。

ある意味「ワクワク感」が躍動しています。

さて「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のストーリーを簡単にご紹介します。
映画の出だしで、その時点までのおおよその経緯が、劇中ニュース報道の切り貼りという手法で紹介されていきます。

時代は近未来。
世界は奇怪な宇宙生物の侵略に直面していました。
戦いはすでに数年間続いていてヨーロッパはイギリス以外は全部壊滅しています。あたかもこちらの動きを予測しているかのように先手先手を打ってくる敵勢力の前に人類は押しまくられているという状況です。
「こちらの動きを予測しているかのように」という表現が、しばらく見ていくと一種の種明かしになっていたことがわかるのが、一種のご愛嬌です。

しかしながら、絶望的になりかけた人類にかすかな曙光が見えてきたというのです。「ヴェルダンの奇跡」ともてはやされる大勝利を勝ち取り、エイリアン相手の戦いにかすかな曙光を見出したというのです。
「新型機動スーツの威力」
「ヴェルダンの女神」
「一日に数百体の敵を葬ったリタ・ヴラタスキ」
などという言葉がちりばめられて英雄的な女性ヒーローの存在が紹介されます。

このあたり、映画を最初に見ている人々は巧みに「ちょっとあさっての方向」に誘導され、あとになって「真相」が判明した時、妙に「感動」することになります。
ハリウッド映画全般にいえることではありますが映画作りが上手です。(脚本が上手なのかもしれませんが)
ザッと背景が紹介された後、いよいよ映画本篇の始まりとなります。
主人公である米軍のメディア広報担当官ケイジ少佐(トム・クルーズ)がロンドンの国際統合軍司令部を訪問します。
この時、ケイジ少佐を搭乗するヘリコプターがロンドンに到着する直前、それまで機中でまどろんでいたケイジ少佐が目を覚ます場面があります。
映画「インセプション」に限らずこうした類の映画を多々見てきた人ならばこの「覚醒」に意味があることはなんとなく察せられるものではあります。(かなりの上級者レベルですが)

思った通り、映画の終了まぎわ、時空旅行の終着地点がこの「目覚め」になるわけです。「覚醒」がメタファーとして新しい再出発や新しい時代の幕開けを意味するというわけです。

最初、臆病で自分勝手、人のことなどどうでもいい自己中のかたまりであったケイジ少佐が映画の終わりのこの場面で覚醒する時には、長い旅路の涯(はて)、強い責任感と目的を達成させる強い意志の持ち主となって覚醒するわけです。結果的にですが、それだけの人間的成長をするのに要した時間はゼロということになります。

さてケイジ少佐を呼び寄せたロンドンの統合防衛軍司令官(ブレンダン・グリーソン)ですが、その用向きというのは、「ヴェルダンの奇跡」を受けて、これから大陸に巻き返し攻勢をかけようとするので、メディア担当官のケイジ少佐率いる撮影隊に部隊より先にフランス海岸線に出向き、そこで部隊が侵攻してくるのを取材せよといういうものでした。
現代においても、湾岸戦争にしろイラク戦争にしろ、戦争はメディア戦略で民心を倦ませないことが重要といいますが、そのあたりの一般人の認識を加味した設定ではあります。

「作戦」というのも、統合軍がフランス、地中海、北欧の3方向から上陸、東から侵攻してくるロシア、中国軍と合流するようにエイリアンを挟撃しようというもので、なにやら、ノルマンジー上陸作戦を髣髴とさせる内容ではありました。ノルマンディー上陸作戦を扱った「史上最大の作戦」を思い出させます。

「ヴェルダンの女神」が「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクに対応し、その後のフランス海岸線での思わぬ苦戦も、「プライベート・ライアン」を彷彿とさせるシーンの連続です。

ある意味、「パクり」の連続ではあるのですが、それでも1つの作品として十分な手応えのある映画ではあります。(人によっていろいろな意見があるかもしれませんが)

「パクり」でさえ上手に組み合わせるなら、立派なものが創造できるというのが今日の教訓といえば教訓でしょうか。

(橋本惠)