鳥は飛ばねばならぬ

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鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ

鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている

そのように人も
一寸先は闇でなく
光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

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これは、仏教詩人・坂村真民(さかむらしんみん1909年~2006年)の詩です。

2011年3月11日に発生した 東北関東大震災、それにより派生した大津波や原発事故・・・・・・被災地のかたがたのことを思うと、どんな言葉も虚しく感じられ、また私達自身の未来にも、暗澹たる思いが湧きあがってくるような気がしていたあの頃。

そんな時、知人から この詩を教えられました。

今もどこかで苦しんでいる誰かの励みになりますように・・・

(橋本由美)

虹の橋

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この小さな子犬は、生後2ヶ月にもならないうちに、母親から引き離されて、ペットショップのショーケースの中で震えていました。

何故そんな、残酷なことができるのでしょうか。

ただただ、この子に、善き飼い主が現れ、愛情を受けて幸せな生涯を手に入れてくれますようにと、祈るばかりです。

♡♡♡虹の橋♡♡♡

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれる場所があります。

地上にいた頃、愛されていたペットたちは、死ぬとその「虹の橋」へ行くのです。
そこには、草原や丘が広がり、彼らはいっしょになって走ったり遊んだりすることができるのです。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、皆で温かく快適に過ごしています。

病気にかかっていたリ老齢だった子たちは、ここに来て活力を取り戻し、
傷ついたり体が不自由だった子たちも、もとどおりの健康な体を取り戻します。
遠く過ぎ去った夢のように。

彼らは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ満たされない思いがあります。
彼らにとって特別な人、あとに残してきた大切な人と、共にいられないのを寂しく感じているのです。

彼らはいっしょに遊んで時を過ごしていますが、ある日、そのうちの一匹が、ふと足を止めて遠くに目を向けます。

目はきらきらと輝き、体は喜びに溢れて、震えはじめます。
突然、彼は皆から離れて、緑の草地を跳ぶように走り出します。

待ち焦がれていた大切な人を見つけたのです。
やっと再開できた彼らは、抱き合って喜びあいます。
もはや二度と別れることはありません。
互いに愛する友を、優しく撫で続け、信頼にあふれた瞳で見つめ合います。
互いの人生から長い間、姿を消していたけれども、心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。

それから彼らは一緒に「虹の橋」を渡ってゆくのです。

♡♡♡虹の橋のたもとにて♡♡♡

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれる場所があります。

「虹の橋」の少し手前には、緑あふれる谷があります。
大切なペットたちは、死ぬとその場所へ行くのです。
そこにはいつも食べ物と水があり、気候は常に暖かい春のようです。
歳をとって、からだが弱っていたものは、ここへ来て若さを取り戻し、
体が不自由になっていたものは、元どおりの姿になります。
そして一日中一緒になって遊んで過ごします。

けれども、橋のそばには、様子の違うものたちもいます。
疲れ果て、飢え、苦しみ、誰にも愛されなかった動物たちです。

他の子たちが一匹、また一匹と、
それぞれが、かつて愛し愛された人と一緒に橋を渡っていくのを、寂しそうに眺めています。
彼らには愛し愛された人などいないのです。
生きている間、そんな人間はだれひとり現れなかった・・・。

しかし、ある日ふと、橋への道の傍らに、誰かが立っているのに気づきます。
彼はそこに繰り広げられている友の再会を、羨ましそうに眺めています。
地上に生ある間、彼はペットと暮らしたことがありませんでした。
彼は疲れ果て、飢え、苦しみ、だれにも愛されなかったのです。

そんな彼がポツンと立っていると
愛されたことがない動物が、どうして一人ぼっちなのだろう、と近づいて来ます。

愛されたことがない動物と、愛されたことがない人間が、互いに近づくにつれ、奇跡が起こります。
なぜなら、彼らは一緒になるべくして生まれたからなのです。
地上では巡り会うことができなかったけれど、特別な人と、大切なパートナーとして。

今、やっと「虹の橋」のたもとで彼らの魂は出会い、痛みや悲しみは消え、友は一緒になれるのです。
そして、いっしょに「虹の橋」をわたり、もう二度と別れることはありません。

(橋本由美)

絵を描くということ

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私は、幼い頃から、絵を描くことが大好きでした。

正式に習ったことはありませんが、いつも心のおもむくままに、描くことを楽しんでいました。

ところが、やがて大人になり、「義務」として描かなければならない必要が生じてきました。

年に一度のチャーチル会作品展に出品するための絵や、某季刊誌の裏表紙のイラストなど・・・・・・・

そしていつも、締め切りぎりぎりまで何を描くか迷いに迷い、時間切れで、手抜きの絵になってしまうこともしばしば・・・・・・・ そんな時は、なんだか後ろめたい気持ちを引きずってしまいました。

けれども、ホ・オポノポノを初めてから、「頭で考える」ことをやめました。
天にゆだねて、インスピレーションが降りてくるのを待つのです。

そうすると、不思議なことに、ちゃんとゆとりをもって描くことができ、清々しい満足感を感じることができるようになりました。

何より、とってもラクです(^_^)

冒頭の絵は、昨夏の某季刊誌のために描いたものです。
「アマガエルちゃんが描きたい!」とのインスピレーションが降りてきたのです♪

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そしてこちらは、この夏のもの。

次は、何が降りてくるのか、楽しみに待っています♪

(橋本由美)

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ふだん私は、夢を見ることがほとんど無く、たまに何か見たような気がしましても、内容が思い出せない場合が多いのですが、以前、とてもリアルな夢を見ました。

「心のともしび運動本部」のマクドナル神父さまと、家族や友人とともに、ニュージーランドと思しきところにいました。

屋根の無いバスに乗り、街を観光している時、神父さまが、
「その角を曲がると、とても綺麗な教会がありますよ」と、言われました。

バスが角を曲がり、期待して目を向けた先には、教会はありませんでした。
「あれ?」と思いつつ、周囲を見回すと、皆も「?」という表情です。

神父さまが、「心によって、有るものが見えないこともあります」とおっしゃいました。

そこで目が覚め、これは一体何を意味するんやろ~と、しばらく考えていました。

「正しく目を開きなさい」という天からのメッセージでしょうか・・・

(橋本由美)

ある犬のお話し

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2011年に、我が家の家族となりました福ちゃんは、 保健所で殺処分される予定の日の朝、ボランティアのかたに救い出された子です。

その後、里親募集をされているTwitterで、この子の写真と目が合ってしまい、思わず「はい!」と手をあげたのです。

ボランティアのかたに連れられて来た当初の福ちゃんは、まるで骨格標本のように痩せこけ、全身ダニだらけで毛並みはボロボロ、声は出ず、後ろ足は麻痺していました。

大変な子を引き取ってしまった・・・・とも思いましたが、やがて、獣医さんから「骨盤が折れているので、一生治らないでしょう」と言われていた麻痺は、奇跡的に、ほぼ完治し、声も出るようになり、今では、かけがえのない、甘えん坊の うちの娘です。

下記のリンク「ある犬のお話し」は、とても悲しい現実です。

もし、ペットを飼おうとお考えのかたは、どうか、保健所(シェルター)に収容され、殺処分を待つばかりの子を、選択肢に入れてください。

心からのお願いです。

https://www.youtube.com/watch?v=9PSNxO4zU6M

(橋本由美)

観葉植物

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長男が、大学に入学し、東京で初めての一人暮らしを始めた13年程前、
殺風景なマンションに彩りをと、私が、京都から新幹線で、ひっくり返らないよう気遣いながら持って行った鉢植えです。

今は、息子夫婦の住む家のリビングにあります。

大学を卒業後、大学院を経て、就職、京都へ戻って再び大学院を経て、結婚、父親になり、就職・・・・・その姿をずっと見てきてくれました。

一人で悩んだり迷ったりしたこともあったでしょうが、いつも傍で見守ってきてくれました。

植物にも、感情があり、アイデンティティがあると信じています。

愛しいです。
どうもありがとう♬

(橋本由美)