非専門家の役割

歴史学者ではなく小説家である近本洋一氏が著書「嵯峨野あやつり異聞」という小説にて、以下の様な面白い歴史解釈をしています。

京都盆地の西端にある化野念仏寺、そこにある賽の河原。
丁度反対の東端にある銀閣寺、そこにある銀沙灘。
賽の河原と銀砂灘を結んだ同緯度の線状に内裏がある。

応仁の乱で荒れている世の中で、銀閣寺に力を入れたのは足利義政。
銀閣寺の御堂は東求堂という名前。
名の元は六祖禅師の「東方のひと仏を念じて西方に生まれんことを求む、西方のひと仏を念じて何国に生まるるを求めん」という言葉。

義政はこれを新生への祈りと理解し、西の化野念仏寺の”死”に対応し、反対の東に”誕生”を準備すること。
賽の河原から、内裏、銀沙灘という関係を生み出すことで、死と誕生を循環させて都を蘇らせようとした。

位置をGoogle Map を利用して示しました。左○が化野念仏寺で、御所を通って右端が銀閣寺です。ちなみに左大文字、大文字がそれぞれの寺の傍にあります。>