「目の前で起こることは、100パーセント自分の責任」ということ。 100% of impending occurrences are my responsibility.
2011年3月11日以前、私は この先20年30年後もずっと、この国で、この家で、この環境で、マイペースに のどかに 人生を過ごしてゆくものと思っていました。
国やマスコミの情報を信じていれば、間違うことも無く、平和な日々が 続いてゆくものと思っていました。
I thought that I led my life quietly in this house in this country for these point dozens of years before March 11, 2011.
If our country and mass media are believed, there will be no mistake, and I thought that peaceful days continued.
ところが、3,11以降、それらが幻想であったことを 思い知らされました。
そして、非力ながらも、寄付をし 支援物資を送り 署名し 嘆願書を送り FacebookやTwitterで情報を 収集したり発信したりし ・・・ 自分のできる範囲のことを、こつこつと真面目に続けてきました。
However, I got to know that they were fantasies after 3.11.
And I contribute, send support goods, sign, send a petition, and send with information gathering by Facebook or Twitter …
I have performed those activities seriously.
もう間もなく 丸2年になります。
いったい、誰が救われたでしょうか。 寄付は 何に使われたのでしょうか。 まだ 福島の子供たちは、被曝し続けています。
Two year passes soon.
Who was saved?
Contribution was used for what?
The children of Fukushima are still continuing contamination.
やりきれない気持ちになります。
無力感に、息切れしそうです。
My heart is full of sadness.
I am likely to be short of breath.
そんな時、ふと手にとった 「ホ・オポノポノ」(ハワイの少数民族による伝承メソッド)の本。
以前にも読み、その時は ただ知識として 通り一遍に読み流していましたが、今度はすみずみまで 繰り返し学びました。
I met with the book of 「Ho’oponopono」.
It is a tradition method by the ethnic minority of Hawaii.
そこには、「目の前で起こることは、100パーセント自分の責任」と 書いてあります。
人の潜在意識は、全て繋がっており、目の前で起こることは 自分の記憶の再現。
テレビで見る戦争も、原発事故も、貧困も、自然災害も ・・・
そして、それらをクリーニングしない限り、何度でも 再生されるのです、と。
It is written to the book as 「100% of impending occurrences are my responsibility.」
All people’s subconscious is connected.
And happening to us is reproduction of our memory.
Since war, the nuclear power plant disaster, poverty, and natural disaster which we watch on television are also …, unless they are cleaned, it reproduces any number of times.
そうなの ・・・? 全て 私の責任 ・・・?
That is right?
They are all my responsibility?
私は、他人に怒ることを やめました。
他人を責めることを、やめました。
ただひたすら、自分の内面をクリーニングしようと 勤めました。
(もちろん、寄付や署名など、現実的にできることは続けています。)
I stopped happening to others.
I stopped blaming others.
I worked for cleaning one’s inside.
(I am continuing realistic acts, such as contribution and a signature. )
すると この数日、何か胸につかえるものがありました。
何なのかな? このしこりは? ・・・ と内観していくうちに、昔飼っていた ゴールデンレトリバーのエリーを思い出しました。
I felt the feeling of oppression of the breast from several days before.
What is this fleshy tumor?
While I continued the inner view, I remembered Ely of the golden retriever dog kept a long time ago.
生後35日で、ペットショップからわが家へやって来ました。
まだ乳離れもしていない赤ちゃんでした。
今思えば、そんな幼い子犬を売買するなんて、何て罪なことでしょう・・・。
She came to my home in 35 days after the birth.
I think now that it is a crime to deal in such a baby dog.
エリーはよく、 眠りながら おっぱいを吸う仕草をしていました。お母さんの夢を見ているんやわぁ~と、胸が痛んだ そのズキンとした痛みを再び感じました。
She did behavior which inhales a breast while sleeping, often.
I thought that she was looking at the motherly dream, and felt painful.
And the pain reappeared.
当時 7才と8才でした息子たちとは、仲良く遊んで育ちましたが、翌年 息子が喘息を発症し、アレルギー検査の結果、犬の毛も一因かもしれないとのことでした。
Although my sons and she grew up on good terms, my elder son showed the symptoms of asthma next year.
It was diagnosis that the hair of a dog may be one of the causes as a result of the examination.
エリーは 長毛種の大型犬で、換毛期には 大量の抜け毛が 家中に舞います。
かといって、室内飼いの彼女を 今更外飼いにするのは、不憫です。
She is a large-sized dog of a long coat.
Her hair dances indoors in large quantities at a replacement-of-hair term.
However, I thought it pitiful to keep her outside a house.
結局、室内飼いを条件に、「愛犬の友」という雑誌を通じ、引き取りたいというかたに直接お渡ししたのですが、その後 「先住犬との折り合いが悪かったために、友人に譲った」との連絡がありました。
当時の私は、息子の喘息のことに意識が集中し、エリーの気持ちを思いやる心が 欠けていました。
その後長い間、エリーのことを 忘れてさえいました。
I yielded her to the candidate, on condition that she was kept indoors.
Those days, since I was anxious about my son’s asthma, I lacked the heart which considers and does the feeling of Ely.
I had not remembered her after that for a long time.
家の中で、息子たちと 兄妹のように育ったエリー。
それなのに、私は 無情にも、あっさりと 他人に引き渡してしまいました ・・・。
その時の、エリーのショックが どれほどのものであったか ・・・ また、幼かった息子たちにとりましても、けして良い教育では無かった ・・・。
今思えば、せっせと抜け毛のお掃除をすることぐらい、わけも無いこと ・・・。
My sons and Ely grew up like brothers and sisters.
But, I have handed her to others.
I was heartless.
Did how much her shock then?
And such an act was not education good for my young sons.
If it considers now, it will be easy in cleaning of fallen hair.
私の潜在意識の中に、そして 息子たちの潜在意識の中に、エリーを見捨てたという記憶が存在します ・・・ エリーの悲しい感情の記憶も存在します ・・・ それが、この数日の胸の痛みだと 気づきました。
泣けました。
泣きながら、内観し、ひたすらクリーニングを続けました。
まだ痛みは 消えていません。
The memory in which I forsook Ely exists in my subconscious.
And it exists also in my sons’ subconscious.
I cried.
I saw among them, crying.
And I cleaned it.
The pain of my breast does not disappear yet.
その後の エリーの人生にも、私は 無関心でした。
エリーがその後、どのように過ごし、どのような最期を迎えたのか、知りたいという気持ちが沸き上がってきました。
エリーの記憶を始点とし、これから ひとつひとつ、記憶に謝罪し、クリーニングしていきたいと思うのです。
I was indifferent to the life of her after that.
The feeling of liking to know how how did she pass subsequent life and having seen the last moment into me boiled.
And I think that I would like to apologize to the memory in me including memory of Ely, and to clean.
1993年9月に、京都の橋本から エリーという名前のゴールデンレトリバーを引き取ってくださった 田井さんというご夫婦、また そのかたからエリーを引き受けてくださった 安井さんという女性をご存知のかたがありましたら、どうぞお知らせください。
いずれも、下のお名前は わかりません。
安井さんは、当時 尼崎に住んでいらっしゃり、電気店にお勤めで、ご両親と同居の お若いかたと伺っていました。
どうぞよろしくお願いいたします。
Please let me know the information of Miss Yasui who took over the Tai husband and wife and Mr. Tai to her who took over Ely of the golden retriever from Hashimoto in Kyoto in September, 1993.
Those days, Miss Yasui lived in Amagasaki.
And she heard electrical appliance shop service and me.
I would appreciate your favor.
Thank you.
(追記)
孫娘は、生後26日になります。
先日、お嫁さんの検診の間 子守を頼まれ、いそいそと出かけました。
まだほとんど寝ているだけですので、ベッドの横で 本でも読もうと思って持って行きましたが、ず~っと 寝顔を眺めているだけで、あっという間に 時間が経ちました(*^_^*)。
ありがとうございます。
(追記2)
先週末、所用のため 金沢へ行く必要が生じ、さくらちゃんと福ちゃんを、獣医さんに預けました。
案の定、さくらちゃんは 食欲旺盛、福ちゃんは ほとんど食べなかったそうです ・・・。
お迎えに行きましても、さくらちゃんは 大声で 「早く早く~!」と 呼んでいますが、福ちゃんは しょんぼり おどおど ・・・。
ケージを見ると、保健所を思い出すのでしょうか ・・・。
それでも 車に乗ると、喜んで甘え、帰宅し お父さんとお風呂に入った後は、早速 ベッドでくつろいでいました。
一安心です(^_^)。
ディスカッション
コメント一覧
私も由美さま同様、昨年の5月頃から、
自分の身の回りで起こることは100パーセント自分の責任である、という考え方を学びました。
その後も原発反対の声を上げるなど、自分以外に原因があるような行動をとったりしながらも、行きつ戻りつして考えて参りました。
その結果、やはりそれは正しいのではないか、と思うようになって、今にいたっています。
この怒りは不甲斐ない自分への怒りなのではないか、と。
自分を見つめ、起こる出来事のプラスの面にフォーカスし、それに感謝し、希望を抱いて笑顔で姿勢よく日々を歩むことを目指しています。
たくさんの恨みや悲しみ苦しみを含む思い出の一つ一つを再評価し、子どもっぽい狭い考え方であったことを認め、大人の自分の考え方へ導くような試みをしてみています。
同じ方向へと目を向けていらしたことを知り嬉しいです。このような美しい記事をUPしてくださいまして、ほんとうに有難うございます。
エリーちゃんに、心から、声に出して謝ったなら、そして感謝したなら、きっとわかってくれると思うのですが、いかがでしょう。。
偉そうなことを申し上げました。
お許しくださいね。
まるで自分のことのような気がしています。。
sanashiatoさま
ありがとうございます[E:note]
sanashiatoさまが、突然FacebookやTwitterを制限された理由がわかり、腑に落ちました。
私も、いまだに行きつ戻りつしています。
寄付や署名やボランティアに関しては、やはり少しでも拡散し、協力したほうが良いのではないか ・・・ どこまでが為すべきことで、どこからが自分の責任としてクリーニングするべきことなのか ・・・ 悩んでばかりいます ・・・
この悩む心も、クリーニングしなければならないのでしょうが、なかなか ・・・
sanashiatoさまは、私より何ヶ月も前から気付いていらっしゃったのですね!
同じ考えに辿り着いた人がいらっしゃることに、勇気と希望を感じます。
ありがとうございます[E:shine]
こんにちは[E:confident]
ブログを拝見して、私も共鳴している様に想いました………と、言いますのは、今週の日曜日に、12年私達と暮らしていた愛犬を亡くしました……
彼女は、ドーベルマンとしては3頭めです。( 女の子・男の子・女の子 )ドーベルマンに限り、男の子は、アベル。女の子は、流花(るか )と、決めていました。
どちらも、聖書からです。犬に不謹慎な!と、想われたら、ごめんなさい。特に、女の子の流花は、娘が産まれたら付けたい名前でしたが……[E:heart02]
願いは叶わず[E:sweat02]です。
今も、今でも、ゆみさんや、息子さん方の、たな心に昇っている事で十分ではありませんか[E:happy01]
犬冥利に尽きると、思いますよ[E:sign03]
sky-larkさま
ありがとうございます[E:note]
流花ちゃん・・・いいお名前ですね。
ドーベルマンと聞いて、マリーのことも思い出しました。
マリーは、最後までうちにいましたが、病気に気づいてあげられず、6才の若さで亡くなりました。
こうして次々と蘇ってくる記憶を直視し、謝罪し、感謝しながら、これからの人生を生きていきたいと思います[E:shine]