永平寺
今は亡き
お姑さんと私の 実家の宗派、曹洞宗の総本山・永平寺へ お参りに行きました。
新緑の美しい季節、清々しい空気の中、京都から2時間余りのドライブです。
最近よく 「この世に生まれた意味」 を考えます。
スピリチュアリズムの考え方では、人は 輪廻転生を繰り返しながら 修行を積み、魂レベルを上げていくのです。
たとえば、前世で 何か し残した事がありましたら、今生で それを埋め合わせるカリキュラムを組んで 生まれてきます。
向上心の強い人は、今生で 自分自身に 大きな課題を与えるカリキュラムを組んで 生まれてくるのだそうです。 丁度、スポーツジムで 意欲的な人が トレーニングマシーンに 強い負荷をかけるのと同じと 考えてください。
ですから、キリスト教で よく言われます 「神は、その人にとって 乗り越えられない苦難は与えない」 という言葉には 一理あるのでしょう。
乗り越えられるであろうという前提のもとに、この世の苦難は 与えられているのです。 と言いますより、自ら 与えているのです。
テレビゲームに例えますなら、前世で ゛レベル5゛で セーブしたとしましたら、今生では ゛レベル5゛からのスタートです。
同じ ゛レベル5゛からのスタートでも、本人の努力で ゛レベル10゛までアップします人もあれば、怠けて ゛レベル3゛に落としてしまう人もあります。
すると、その次の人生では ゛レベル10゛ と ゛レベル3゛ とに差が開いてしまいます。
イージーコースと ハードコースを選択しますのも、自分自身です。
その考えからいきましたら、゛自殺゛は 最もしてはいけないこと。修行を 放棄するという意味で、とても罪深いことなのです。 どの様な理由があろうと、゛自爆テロ゛なども けしてしてはならないことなのです。
宗教指導者は、その事を 何故若い人達に伝えてくれないのかと 悲しく思います。もし 自爆テロが尊いもの、天国へ行けるものだというならば、宗教指導者自身が 率先してするはずです。
こうした スピリチュアリズムに基づく教育をしなければならない時代なのではないでしょうか。

人は、魂の成長のために この世に生まれてくるのです。それに 気付かなければなりません。
今 私が 一番好きな言葉は、「袖擦れ合うも 他生の縁」 そして 「情けは 人のためならず」 です。
前者は、このブログの前項・「お遍路さん」に書きました。 後者は、よく ゛情けをかけて甘やかすのは その人のためにならない゛ と誤解されていますようですが、本当の意味は、「人に情けをかけることは、その人のためだけではなく、功徳として巡り巡って自分に返ってくるので、自分自身のためですよ」 という意味なのです。
世の中の全ての人々が、こうした思いを持つことができましたら、世界は もっと 良い方向に向かうことでしょう。
少しずつでも、大人から 伝えていかなければならないことだと思っています。
大切な家族のために、大切な恩人や友人や社員のために、大切な社会のために(^^)。
(追記)
この記事を書きました後、長男のブログを見ましたら 「利他主義」について、書いていました。話し合ったわけではありませんが、ビミョーにシンクロしています ・・・ (^_^)。
ディスカッション
コメント一覧
そうですね。情けは人の為ならずは、宇宙銀行に似ているものがありますね。預けるのはお金ではなく、徳であるということ。人を喜ばせたり、尽したり、社会のために役立つようなことをすると、それが徳となって積み立てられ、満期になると積み立てられた徳の量だけの恩恵が授けられるといいます。人の喜ぶことが、自分の楽しみになればいいですね(^-^;
ありがとうございます。
もしかして、この文章はTちゃんですか?
人違いなら、ごめんなさい。
私は、自分の子供達同様、Tちゃんが幸せになりますように、いつも願っています(^_^)。