国際ソロプチミスト
今日は、国際ソロプチミストの例会に 出席しました。この会は、世界にネットワークを持つ ボランティア組織で、国連諮問機関にもなっています。母が、先に入会していました成り行きで、私も 7年前から 参加させていただいています。
入会を迷っている頃、なまいきにも 年配の 元会長のかたに、お手紙で 私のとまどいを お伝えしました。
「私が思うボランティアとは、目の前で困っている人に 自分の手を差し出すことであり、自分が汗をかいたり行動を起こすことであり、ホテルに集合して 美味しいお食事をいただきながら、どこへ いくら寄付をするかを決める会議をすることには 違和感を感じてしまうのですが・・・。」と。
それに対し、そのかたは、「確かに、あなたのお気持ちは 理解できます。ただ、私たちは、日本という国で、それぞれが 職場や家庭で 責任ある立場にありますので、今 この瞬間、テレビで 外国のかたが困っているというニュースを見ても、すぐに 飛行機に乗って 飛んでいくことはできません。また、たとえ 行けたとしても、たった1人の人間が 現地へ行ったところで、どれ程のお役に立つともしれません。それならば、こうした 組織としての力をもって、適所へ働きかける方が、はるかに合理的で 有効なのです。また、誇りを持って そのモチベーションを高め、秩序ある運営をするために、こうした会議が 必要なのです。」と おっしゃいました。
とても 説得力のあるお答えに、つい涙が出てしまい、入会させていただいて 今日に至っています。
それでも、やはり 時々思うのです。このお食事を お茶とクッキーにして、その分を 「あしなが基金」などに 寄付したら・・・とか。
私の中では、美味しいお食事をするのは、個人の楽しみですので 問題無いのですが、目的が ボランティアとなると・・・でも、確かに モチベーションという意味では、少なくとも私は、それに釣られて参加しているし・・・今日も そんなことに悩みながら、帰ってきました。ソロプチミストの皆様、ごめんなさい<(_ _)>
ディスカッション
コメント一覧
黒柳さんがアフガニスタンやったかエチオピアだったかで難民の視察に豪華な毛皮を着て批判されていた記事を読んだことが有りますが、慈善事業はしないよりした方が絶対いいと思うし偽善だとよく労働組合の小雑誌に出てくる
「noblesse oblige]の精神を僕は支持します
ちょっと例えは悪いけど、神道の道を行く方に神社にお参りした際、お賽銭はいかほどが適切なのかお尋ねした所物凄く明確なお答えに感心した事を思い出しました。
「物凄い金額を寄進してもやましい奢った気持ちでは無意味だし、ポケットに残った小銭を邪魔だからという理由ではこれまた無意味です。
金額は相対的な物で個人個人で違い、お賽銭の際に少し勿体無い、痛いな~と思う金額をでも宜しくお願いしますと願ってするのが一番いいんですよ!これは寄付も同じ」
僕はこの言葉を聞いたのは十数年前ですが、いまだに忠実にこの教えを色々な場面に応用しています。
黒柳さんがアフガニスタンやったかエチオピアだったかで難民の視察に豪華な毛皮を着て批判されていた記事を読んだことが有りますが、慈善事業はしないよりした方が絶対いいと思うし偽善だとよく労働組合の小雑誌に出てくる
「noblesse oblige]の精神を僕は支持します
ちょっと例えは悪いけど、神道の道を行く方に神社にお参りした際、お賽銭はいかほどが適切なのかお尋ねした所物凄く明確なお答えに感心した事を思い出しました。
「物凄い金額を寄進してもやましい奢った気持ちでは無意味だし、ポケットに残った小銭を邪魔だからという理由ではこれまた無意味です。
金額は相対的な物で個人個人で違い、お賽銭の際に少し勿体無い、痛いな~と思う金額をでも宜しくお願いしますと願ってするのが一番いいんですよ!これは寄付も同じ」
僕はこの言葉を聞いたのは十数年前ですが、いまだに忠実にこの教えを色々な場面に応用しています。