六波羅蜜寺の節分会追儺式 2009年
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創されました西国第17番の札所です。
毎年、「鬼」ならぬ 「大蜘蛛」 退治の 節分会追儺式が行われます。
恐ろしい大蜘蛛を 六斎念仏と 鐘や太鼓で追い払い、「鬼は外、福は内」 ではなく、「福かっこめ~」「福かっこめ~」と かけ声をかけながら 豆まきをします。
例年は た
呉へ。
主人の父方祖母の 旧姓は 岩畔(いわくろ)といいます。
祖母は、広島の 倉橋島で 故・岩畔豪雄氏とともに 育ちました。
岩畔豪雄氏は 元・陸軍大佐。
太平洋戦争開戦前に、当時の 米国・ハル国務長官と 日米和平交渉を行い、諒解案を まとめあげました。
もし この交渉がうまくいっていましたら、あの戦争は 回避できましたかもしれません。
祇園祭の山鉾巡行
約一ヶ月にわたり行われます 祇園祭のクライマックス、山鉾巡行を観に行きました。
母と、東京から一時帰省しています息子、その友人4名、そして 何故か イギリス人のバックパッカー エド君とで。
通りの信号機の 向きが変えられますと、間もなく 巡行スタートとなります。
父が 八坂神社の総代をしていますので、お旅所前の 観覧席に入れていただきましたが、今
秋山将軍の茶箪笥
父の茶室 「閑清庵」の玄関正面に 静かに置かれています この茶箪笥は、昔から 「秋山将軍の茶箪笥」 と呼ばれています。
母が、10年ほど前に 松山の実家から引き取ってきましたものです。
明治の初めに活躍しました 秋山好古・真之兄弟は、司馬遼太郎の小説 「坂の上の雲」のモデルにもなっています。
兄の好古氏は 陸軍大将として活躍し、「日本騎兵の父」と
幾松
昨夕は、今年初めての ゛床゛ へ行きました。
立命館大学情報学部・助教の O君と、京大情報学科・ドクターの H君、そして うちの会社のチーフ達とで 「幾松」の床で ミーティングです。
この建物は 200年程前に建てられましたもので、当時は 長州藩が所有し、幕末には 倒幕のための ミーティングの場になっていました。
もちろん、私達のミーティングは
青蓮院 熾盛光法に参列
青蓮院は 平安時代後期の開創時から 「熾盛光如来曼荼羅」(しじょうこうにょらいまんだら)を ご本尊として お奉りされてきました。
そして この曼荼羅を お奉りして行われます 正式な宗法を 「熾盛光法大法」といいます。
青蓮院HP
先日 この法要に 参列をしてきました。
今年の京都は いまだに 日中は 30度近くまで 気温が上がり、木々は ま ...
薬師寺の大講堂回廊竣工式
一昨日、奈良・薬師寺の 大講堂回廊 竣工式に、出席しました。
まだまだ暑く、外での式典でしたので 日差しがきつくて 大変でしたが、式典が 終了しました直後に 雨が降り出しました。
そのタイミングに、皆さん口々に 「外やし、雨降りやったら 式も 大変やったやろし、これも 安田管長や 参列者の(私達?) 功徳のおかげかも ・・・ 。」 と、話してはりました(^_^)。
小嶋克山先生との定例座談会? 京大和にて
年に2~3度、信楽焼の陶芸家・小嶋克山先生と 母は、会食をします。
その際、たいてい 決まったメンバーが参加しますが、今回は 双方の共通の友人Nさんと、何でもお世話になります Y原さん、そして 主人と私が 同席させていただきました。
この度も 政治・経済・歴史から 医療・環境に至るまで 克山先生のお話は、参考になります事が多く、その 興味の豊富さ、知識の深さには 感心 ...
陸軍中野学校OBの I氏を訪ねて
第二次世界大戦前、「日米諒解案」が作成され 開戦回避まで あと一歩でしたことは、歴史の教科書には 載っていません。
そして その諒解案を まとめ上げましたのが、岩畔豪雄・元陸軍大佐であることも ごく一部の人しか ご存知ありません。
この諒解案は 結局、当時 ドイツを訪問し ヒトラーと固い握手を交わしていました 松岡外務大臣に 一蹴され、その後 日本は 開戦へと突き進ん ...
母の御殿雛
明後日は、3月3日の 桃の節句です。
京都では、旧暦の 4月3日に お雛様のお祝いをされますご家庭も多いようです。
私の実家では、「せっかく手間暇かけて、お雛様を飾るのやし・・・」と、2月半ばから 4月3日まで、しっかり1ヶ月半ほど 飾ってあります。
このお雛様は、昭和15年に 母が、祖父(私からみましたら、曾祖父)から贈られましたものだそうです