2019年 弥生の日々 ~ 光と闇
けれども、誰かの『光』は、誰かの『闇』にもなり得るのです。
それはこの数年にわたります数奇な体験により、漠然と感じてまいりました。
ですから、現世に生きる限り、その苦悩は避けられないことなのでしょう、とも、ぼんやり思っておりました。
ただ、自ら望んだ訳ではありませんのに(少なくとも表層意識におきましては)、人生後半で、このような体験をしなければなりません因果を考えます。
亡きお舅さんは、善良な人でした。
息子であります私の夫に、
『人の茶碗を伏せるような行いは、したらいけん』
と、よく話していはりました。
息子であります私の夫に、
『人の茶碗を伏せるような行いは、したらいけん』
と、よく話していはりました。
私は、いつもそれを『いい言葉やわぁ』と思いつつ、聞いておりました。
ところが今、私は、自らと家族のお茶碗を取り戻すために、矢面に立ち、人さまのお茶碗を伏せざるを得ない状況となりました。
どれほど泣きましても、状況は変わりません。
そして、この因果を受け入れる覚悟を決めました。
そして、この因果を受け入れる覚悟を決めました。
子供の頃から、私は、たいへん内向的でしたが、結婚前は両親に、結婚後は夫とお舅さんお姑さんに守られ、日々それなりの悩みはありましたものの、今思いましたら、どれほどのものでもありませんでした。
その時に、『今ある幸せ』に、もっともっと感謝をするべきでした。
それを気付かせるための、天の采配なのでしょう。
今年は還暦を迎えます。
一巡しまして、人生観も生き方も、おそらく次のステージに入りましたのでしょう。
まさに人生はロールプレインゲームのようなものですからhttp://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2019/01/2019-1dce.html
たゆまず続けてまいります。
Peace of I
(追記)
孫娘の卒園式に参列いたしました。
少しサイズの大きい制服に身を包み、ママに手を引かれ、桜の花の舞う中、入園しましたのが、ほんとうについ先日のことのようですのに・・・・・・・涙、涙のおばあちゃんでした・・・・・・・
光に満ちた未来を祈ります

(追記2)
高いところが大好きなラー君は、最近、この食器棚の上が、お気に入りのようです(^^)





ディスカッション
コメント一覧
今まで、この世は種々雑多な魂が混在していましたが、これからは、この世のエネルギーがあの世の写し鏡(光の世界)となり、波長の合う人としか、つながれなくなるようですね。
私も以前は親しく付き合っていた人たちと、なぜか会えなくなってしまいました^^
(体が拒絶反応起こしたりして)
亡くなる方も多いですし、いよいよアセンションが本格化するんだな~って思います。
「波動を上げる」「他人事はほっとく」
というのがテーマのようです[E:#x2606]
とも[E:#x2606]さま
ありがとうございます[E:#x1F340]
身内でありながら、縁の切れる悲しみを味わっていますが、これもある意味、アセンションと考えましたら、そう嘆くほどのことでもないのかもしれませんね・・・
とはいえやはり、肉体を持ち現世に生きる身としましては、ストレスの多いものです[E:#x1F4A7]