京都ヒューマン大賞・母の授賞式
先週の水曜日、「京都ヒューマン大賞」の授賞式が開催され、受賞者の母の同伴として、出席しました。
My mother won the 「Kyoto human prize.」
I attended the award ceremony.
母のスピーチ場面です。
My mother did the greeting of the award.
スピーチの中で、母は、
「医者として歩み始めてすぐに、年子の子供(私と弟)を授かったが、当時は長時間保育の場が無く、保育所を転々としたこと。」
「子供を預けなくてもすむようにとの思いで、他人の民家の軒下を借り、夜間診療を始めたこと。」
「そのため、これまで24時間保育の充実に、力を入れてきたこと。当保育室は、職員以外の病児保育も、受け容れていること。(職員の負担金は、月1万円であったが、地域の病児保育も受けていることから、安すぎるので値上げをするようにとの、保健所からの指導があったとも、話していました。)」
My mother gave a speech as follows.
「I became a doctor and was immediately blessed with two children.
However, the day nursery was scarce those days.
I changed my address frequently. 」
「I opened the clinic so that it was not necessary to deposit a child.」
「I established the nursery school for 24 hours.
This nursery school has also contracted sick-children childcare of the area. 」
その後は、「今後、少子高齢化により、医療・介護の役割は増えるはずであるのに、現場を知らない 厚生労働省などの政策に振り回され、どんどん疲弊していっている現実がある。」と 続きました。
「Japan becomes the society of low birthrate and longevity.
However, the Ministry of Health, Labour and Welfare exhausts the medical spot.
They do not know the spot. 」
母が、私たちのためにとの思いで、夜間診療を始めたということは、初めて聞き、思わず涙が出そうになりました。
I got to know that the mother opened the clinic for us for the first time.
I was likely to cry.
私が幼い頃の、心の中にある原風景は、陽が落ちて 薄暗くなった保育所の園庭のジャングルジムに上り、弟と二人で、お迎えを待っていました 自分の姿です。
私たちは、いつも 「お残り」でした。
When I was a child, we were waiting for the person to meet in the nursery school till night.
I remember it.
It is the figure in which I climbed the jungle gym and was waiting for the person to meet in twilight.
思春期の頃は、母は、私が登校する前に 仕事に就き、私が寝室に入った後の 11時半頃に帰宅していました。
当時の母の睡眠時間は、4時間ほどでした。
When I was a teenager, my mother took up work before I went to school,and she came home after I went to bed.
My mother’s sleeping hours were about 4 hours at the time.
その頃の私は、自分は 母に忘れられた存在なのではないかと、勝手に思っていたものです。
Those days, I thought that my mother forgot of her daughter.
しかし、その後 私が結婚し、長男を授かりました時には、ウィークデーのほぼ毎日、仕事を終えた後、母は、赤ちゃんの入浴のために来てくれました。
その年は、雪の多い年でした。
いつも 夜中の12時前に、翌朝の仕事のために、チェーンを巻いたタクシーで帰って行きました母の姿を、今も 雪が積もると 思い出します。
However, after that, I got married and was blessed with the child.
My mother came to my house for my baby’s bathing almost every day.
Much snow lay in that year.
She returned to her house by taxi which equipped the chain in the dead of night.
Even now, I will be reminded of the figure of hers, if snow lies.
次男が生まれました時にも、同様に、毎日通ってくれました。
どれほど体力的に大変であったことかと、つくづく思います。
Also when I bore the second child, my mother passed to my home every day.
I became the present and got to know the hardness of the mother of those days.
今、当時の母より うんと年上になりました私は、母ほど 懸命に生きてきたかどうかと、自分を省みます。
今もまだ、母には 守られてばかりの私ですが、これからは 精一杯 親孝行できればと願っています。
ありがとうございます。
I become older of her in those days.
Am I doing my best for life like her?
I am still thankful to her who protects me.
(追記)
お庭の紫陽花が、たくさんのお花を付けました。
もともと、紫陽花好きの母のために 植えましたものです。
(追記2)
福ちゃん、お休み中。
福ちゃんは、後ろ足のバランスが 少々小さめです。
おそらく、成長期に 骨盤骨折のため 栄養が充分行き渡らなかったのかもしれません。
それでも、一年前には麻痺していました後ろ足で、いまや 跳んだりはねたり、
最近は、なんと! 2本足で立ち上がり、当たり前のように ドアを開けます(^o^)。
保護された時、獣医さんからは、
「骨盤が折れて、ゆがんでくっついているので、おそらく麻痺は、一生治らないでしょう。」
と言われましたが、
「どんな状況でも、最初から無理・・・と 諦めたらあかん!」
という希望を持たせてくれます、福ちゃんの元気ぶりです。
さくらちゃんは、日中は、ほとんど 日向ぼっこです。
それでも、食欲は旺盛で、大声で、「おやつ頂戴!」「ご飯頂戴!」と言いますので、福ちゃんは いつも、小さなさくらちゃんに 負けています(^^ゞ。
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ディスカッション
コメント一覧
ゆみさま、お母さまのご受賞、心よりおめでとうございます。
ゆみさま、お母さま、ご家族の皆様の更なるお幸せを心からお祈り申し上げております。
Rさま
ありがとうございます[E:note]
自分が年をとるほど、親のありがたみがわかるものですね・・・[E:shine]
母は、賞金を全て「ふるさと納税」すると話していましたが、税金は、正しく医療介護などに、使っていただきたいですね[E:clover]
由美ちゃん、素敵なお母様ですね。すばらしいです。ご受賞おめでとうございます。
紫陽花の青!なんて、鮮やかなんでしょう!
後ろのタペストリー?
由美ちゃんの作品ですか?優しくてかわいらしいですね。
純ちゃん
どうもありがとう[E:note]
中学高校時代の私が、暗~く覇気が無かったのは、こういう訳なのですが、今はすっかりおばさんになり、強~く厚かましくなりました[E:coldsweats01]
後ろの絵は、以前出版した「空へ」の原画です[E:notes]
ゆみちゃんのお母様って、本当に偉大![E:shine]
医者として、母として、なんて立派なのでしょう。
受賞おめでとうございます。[E:flair]
また思春期のゆみちゃんにそんな寂しい、ひとり
ぼっちの思い出があったのかとびっくり致しました・・。[E:sweat01]
人にはそれぞれの思いがあるものですね・・[E:confident]
お母様の受賞
おめでとうございました。
女性目線で有ればこそ!!
当時の女性は家で子育てする専業主婦が多く
私の母もフルタイムで働いていていましたが…
ご近所は専業主婦ばかりでした
働く女性にとって託児所は画期的であったであろうと思います!!
その上!安価であればこの上無い事でしょう!!
今も昔も…お役所は体質は変わらずだったのですね…
安過ぎるから値上げしろ!!
だなんて!!(苦笑)
パイオニアとして歩み続けていらっしゃいます、お母様はご立派です!!
重ねて おめでとうございました。
ひろちん
どうもありがとう[E:note]
子どもの頃は、母とあまり会話ができず寂しかったけれども、小学校前からは祖母が一緒に住んでくれていたし、今思えば、「親の心、子知らず」やったな~と、反省しています[E:confident]
skylarkさま
ありがとうございます[E:note]
お役所もさることながら、銀行も、女性には開業資金も貸してくれずに苦労したと、今になって、ぽつぽつと、当時の事を話してくれます。
これからも、ご意見番として元気でい続けてほしいものです[E:happy01]