祇園祭茶会&町屋の合理性について

京刺繍作家・長艸先生が主催されます、「茶の湯文化研究会」 に、今年から参加させていただいています。
「研究会」と 名前がついていますが、そんなに堅苦しいものではなく、実際には 皆で気楽に 日本文化を体験しましょう、という サークルのようなかんじです。
昨日は、船鉾町の 京町屋・長江家のお茶室で、長艸先生が亭主をなさいまして お茶会を催され、その後、すぐ横の料亭 「木乃婦」 で京料理をいただく ・・・という企画でした。
最近は、日本建築にも 興味津々の私は、お茶会などへ行きましても、ついつい お行儀悪く、あちらこちらキョロキョロと 眺め回してしまいます。
若い頃は、洋風のインテリアに憧れ、洋書を参考にしまして インテリアを設えましたし、また、自宅は 外観も内装も 完全に洋風で、唯一 2階にあります和室は、゛収納部屋゛ となっています悲しい現状です。
けれども最近は、年齢のせいか、また お茶会や古い料亭へ寄せていただきます機会が多いせいか、「やっぱり日本建築がいいわぁ~。」という思いが 強くなってきました。
町屋を観察していますと、共通しまして、じつに合理的な間取りになっています。 たまたま私が行きました所がそうですのか、京都がそうですのか、確証はありませんが、一番私が 参考にしたいと思いますのは、玄関ホール(と呼ぶべきかはわかりませんが)が、接客の間にもなっていますことです。
格子戸を開けますと、植え込みのあります土間になっています。 その隅に通路があり、土間の台所へと続きます。
一方、通路へは向かわず、大きな石の踏み台(呼び方はわかりません)で、履き物を脱ぎ、上がりました所が 畳敷きの玄関ホールです。
ここが、ちょっとした応接間の役割を果たしており、屏風や生け花が飾ってありましたり、茶箪笥や机が置いてあります。家によりましては、その脇に、待合いのような小間があります。
これは、本当に、合理的ですよね。
お客様がみえましても、お通しする時間的余裕がありませんでしたり、または 急にみえて、お部屋の片付けができていませんでしたり、家族や他の友人が寛いでいましたりと、様々な理由から、玄関先で 応対せざるをえない場合が多いのですが、狭い玄関ではお茶もゆっくりお出しできず、相手様に 失礼な印象を与えてしまいます。
かと言いまして、今は、奥までお通しできない(または、したくない)という場合、生活の影響を受けません 広めにとりました玄関スペースが、応接間も兼ねていますのは、とても合理的だと思うのです。これは、京都人の知恵でしょうか。
・・・ と 思っていましたら、つい先日、インテリア雑誌で、「ドイツ流の合理的なインテリア」として紹介されていましたのが、「接客スペースを兼ねる広い玄関ホール」 でした。
その記事によりますと、ドイツの家庭では、たいてい玄関ホールを広くとり、ダイニングテーブルやソファーを置きまして、接客スペースにしているのだそうです。そして、仕事の打ち合わせなども、ここでするのだそうです。
「合理主義」という点での、ドイツ人と京都人との 共通点かもしれませんね。
その様な事を考えながら、お食事を終え 外へ出ますと、すっかり日が暮れまして、組み上がりました鉾に 提灯が灯り、お囃子が流れ、気分はすっかり 祇園祭モード(^_^)。 同席しました方々と、少しだけそぞろ歩きまして、帰って来ました。
ディスカッション
コメント一覧
学生時代は祇園祭りによく行きましたが、社会人になってからは行くチャンスがなくて行っていません。
今の季節の京都は蒸し暑いですね。
だから京都の家は細長くて風が通るように中庭があル用です。
同級生の家は皆そのような造りでした。
祇園祭は「鱧」。
明日は「鱧」にします。
berryさん、ありがとうございます。
いつも、綺麗なお写真を、楽しみに拝見しています。
京都の夏は、本当に蒸し暑いですね。
町家の中庭も、光と風を取り入れるための、
合理的な設計なんですね。
でも、berryさんの所は、自然に囲まれて
夏も心地よさそうですね(^_^)。