「100パーセントの責任」ということ 100% self-responsibility
私のクリーニングが、なかなか順調に進みませんでした大きな理由のひとつは、どうしても、「問題の原因は、100パーセント自分の責任であることを認め、天に許しを請う」 という考え方を、受け容れづらかった点にあります。
何か問題が起きた時に、「でもやっぱり、少しは あの人のせいでは・・・?」と思ってしまうのです。
The reason my cleaning was not favorable is that I did not receive the
view of 「accepting 100% of my self-responsibility, and apologizing to
God」.
ヒューレン博士によると、
「この世の中には、4種類の人がいます。
エニバディ(anybody)、エブリバディ(everybody)、サムバディ(somebody)、ノーバディ(nobody)の4種類です。
その仕事は、誰でも(エニバディ)できるものでしたから、誰か(
みんな(エブリバディ)がやるだろうと思っていたのです。
誰でもできることを、誰もやらなかった結果、
このように、みんな自分の問題と考えないで、
どこかで100パーセント自分の責任だと考える人がいなければ、
「There are four kinds of persons in this world.
They are four kinds, 「anybody」, 「everybody」, 「somebody」, and 「nobody」.
Here is the important work which must be done.
The work thought that somebody probably did since anybody can do it, and nobody did it.
They thought that everybody probably did.As a result, everybody became blames others.
Thus, it will leave as it is without everyone’s considering his problem.
Nobody takes self-responsibility.
No problem is solved if there is no someone who takes self-responsibility 100%.彼は心理学博士であり、ある精神障害者収容施設で5年間クリーニングを行われました。
そして結果的に、その施設の収容者は 一人もいなくなりました。
お薬や鎖でしかコントロールできなかった人々が、
He is a psychology doctor and performed cleaning for five years by a
certain mentally handicapped person accommodating facility.
The inmate of the institution stopped as a result, as for, nobody’s existing.
People controlled with medicine or a chain became independent.
彼は、「私は、その人達を治療したのではなく、自分の中にある、彼らと共有する部分を、100パーセント自分の責任としてクリーニングし、癒やしただけなのです。」と、おっしゃっています。
He says.
「I did not treat them. I cleaned the portion in shared with them by self-responsibility 100%, and only cured it」.
私は、今もまだ、「100パーセント」
そして、ウニヒピリ(インナーチャイルド)と対話しつつ、日々、
I still feel resistance for the portion of 「100%」 occasionally.
However, various things became easy fairly after RAMSTRUM PH.D. 's seminar.
And I continue a prayer and cleaning every day, having a dialog with sea Unihipili (inner child).
私の平和♪♪♪
Peace of I ♪♪♪
(追記)
8月16日は、五山の送り火、お盆で この世に戻って来ていはりましたご先祖さまの魂を、あの世へとお見送りします日です。
これまでは、ほぼ毎年、母と、
けれども、今年からは、息子夫婦の提案により、
ホテルの高層階からのように、
そして、皆で、亡きお舅さんお姑さんや、祖父母たち、
孫娘も、大人の真似をして、お仏壇に手を合わせていました(^_^)
まだ1才半の孫娘の表層記憶に残るかどうかはわかりませんが、
ありがとうございます♪♪♪
(追記2)
私の人生において、大きな後悔のひとつに、「家を建て替えたこと」があります。
結婚後しばらく住んでいました家は、使いやすい間取りの、
その家で、私は、ふたりの息子たちの誕生や、
ところが、その後「風水」にはまってしまいました私は、
そして、当時抱えていました問題の一因が、
今となっては、「人生に現れる問題は、過去の記憶の再生であり、
SITH-Ho’oponoponoでは、
たとえ ペン1本、塵ひとつにでも、です。
ですから、私は、もとの家の気持ちも聞かず、存在を軽んじ、
息子たちの幼い頃の 家族の記憶を刻み込んだ家 ・・・ その家に、私は毎日、謝罪しつつ、感謝しつつ、
写真は、その家の 懐かしい玄関ホールです。
ありがとうございます♪♪♪
(追記3)
午後のお昼寝タイムの福ちゃん、何となく色っぽい(*^_^*)
(追記4)
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ディスカッション
コメント一覧
素敵な絵、拝見しました。
シェアありがとうございます。
家・・私の実家や祖父母の家も、建て替えたり建て増ししたら、病人が出ました^^
家にもアイデンティティーがあるので、人間の勝手な意思で、変えてはいけないのかもしれませんね。
でもそういう経験もきっと、すべては無駄ではないのだと思います。
今は、クリーニングツールがあるから、大丈夫ですね☆
ともさま
ありがとうございます[E:clover]
家や土地は、たくさんの記憶を刻んでいますから、とくに気をつけないといけませんね・・・[E:sweat02]
今の知識と思考のままで、30年前に戻れればいいのにと思うこともありますが、すべて無駄ではなかったと、私の責任として、受け止めたいものです[E:shine]