半田肇先生を偲ぶ会
昨日の海の日、京都大学名誉教授の 「半田肇先生を偲ぶ会」が、京都大学時計台記念会館で 行われました。
ご長男の寛先生は、主人の大学時代のクラスメートで、名字が 同じ 「は」で始まりますので 名簿が続いており、親しくさせていただきましたご縁で、お宅へも よくおじゃましていましたそうです。
その後 長い年月が経ちましたが、主人は 今でも 「半田先生は、これまで 出会った中で、学者としても 教育者としても 人間としても、最も尊敬できる人」だと いつも話していました。
大正12年のお生まれですから、今年は米寿をお迎えになります年でしたが、寛先生のお言葉を拝借しますと、
「これまでずっと健康で、入院などしたことも無く、思いがけないことでした。」と。
奥様のことを こよなく大切にされ、他のご家族や 後輩の教室員達や 関係者には、何もお言葉を残されませんでしたが、奥様にだけは 感謝のお手紙を書いていらっしゃり、寛先生が 読み上げられました。
泣けました・・・・。
瀬戸内海が すぐ目の前に広がります 兵庫県相生市で育たれ、京都帝国大学医学部(当時)に進まれまして後は、人生の多くを 京都で過ごされましたが、氷川丸で 米国へ留学なさるなど、その転機転機には 海が関わっていましたそうです。
口下手なぶん、文章を書かれます事がお好きで、出版されました エッセイ集の題名も トップの写真のように、「海」でした。
そして 「海の日」に 偲ぶ会が催されましたことは 意味のあることのように思えます。
式典の最後に、半田先生がお好きでした 帝国大学の寮歌 「琵琶湖就航の歌」を 京大グリークラブのみな様が歌ってくださいましたが、その時に 私の前に座っていはりました 半田先生のクラスメートでしたとおっしゃる年配の男性が すくっと立ち上がり 共に歌っていはりました。
感動しました。
発起人の 菊池先生や、橋本信夫先生はじめ みな様の 弔辞も 感動的でしたし、寛先生のご挨拶は 先生らしい 独特の愛とユーモアに溢れたものでした。
すべては 半田先生のご人徳ゆえ、心温まる 素晴らしい 「偲ぶ会」でした。
ご冥福を お祈り申し上げます。
ディスカッション
コメント一覧
今朝、部屋の整理をしていたら、中学生の頃の日記や当時の闘病を記すものがでてきました。
京大病院脳外科でお世話になった半田先生を思い出し、一度ネットで検索して見ようと思いたち、、、
こちらの半田肇先生を偲ぶ会のお話に出会うことが出来ました。
30年も以前の話ですが、当時では珍い病気で
散々検察をくり返し、初めはふらつくと言う症状が手術を受けるころには、1人では歩けない、ボタンもかけられないまでに症状が悪化していました。
成功率20%と言う難しい手術を半田先生にして頂き、私は劇的な快復をし、今健常人として普通の生活をしています。
京都のとある病院で薬剤師になって働いているときに、偶然その病院に半田先生が講演にいらしたことがありました。10年以上過ぎていましたが、先生は私のことを良く覚えていて下さり、あの頃はいやごとを言わずに良くがんばっていたね、と声をかけてくださいました。
それ以後、先生にお会いすることはなかったのですが、今回このサイトで患者では知り得なかった先生のひととなりを知ることができ、とても嬉しくおもいます。
世の中に私のような先生に救われた方はたくさんおられると思いますが、一患者としてここにコメントさせて頂きました。
もう一度、先生にお会いしてお話がして見たかったです、、、
Omin 様
ありがとうございます[E:happy01]
世の中に、「名医」とか、「神の手」と呼ばれる先生は、多々いらっしゃいますが、人格ともに優れたかたは、ごくわずかなのではないかと、私は 正直なところ、思っています。
主人は、大学の人間関係で、ずいぶん苦労をしましたし・・・・・・。
ですので、この記事に お目をとめていただき、半田先生のことを懐かしんでいただけ、心から嬉しく思います。
Omin 様のコメントは。ご子息の寛先生に お伝えさせていただきます。
きっと、大変に喜ばれることと思います。
ありがとうございます。
早々にコメントをありがとうございます。
御主人の大学での人間関係のご苦労を想像した時、当時の忘れられない一場面を思い出しました。
私は症状より脳腫瘍が疑われていたのですが、どんなに調べても脳に腫瘍が見つかず、先生方も困っておられた様です。当時CTすら保険がきかず、1回のCTに10万円かかりました。脳の中に空気のようなものをいれての検査は最も辛いものでした。
最終は小脳の位置が下がっていて成長につれて脊髄が小脳を圧迫することが、歩けなくなったり手先がきかなくなる原因と診断がつきました。
そこで頭の後ろを開き、小脳を圧迫している
脊髄を切る手術をすることになったのです
が、脳外科の先生の中で手術に賛成派と反対
派に2分されたのです。
半田先生も本当に快復する成功率は20%と言
われましたが手術をしてはどうかと言って下
さいました。
しかし万一の覚悟も母には伝えておられたようです。
手術は最後まで反対派の先生がおられ、驚い
たのは、手術前夜1人でいる就寝まえの私の
ベットサイドに反対派の先生が来られて、手術をするのは私じゃないからね、と言われた
のです。
悪く思う程、その先生は深い意図は無かった
のかもしれませんが、その時は悲しい思いに
なったのです。
賛否両論の中、私も家族も手術に踏み切る決断ができず、東大病院までセカンドオピニオ
ンに行き、結果全てを半田先生にゆだねました。
半田先生は患者の私だけでなく、どうすれば
いいのかわからず不安いっぱいの私の家族に
とっても心のある名医であったことも間違いありません。
長々と、自分の話ばかりですみません。
御子息寛先生には、一患者から失礼ながら、感謝の気持ちをお伝え下されば幸いです。
Omin様
お返事遅くなりまして、申し訳ありません[E:sweat01]
寛先生に、ご連絡がとれましてからお返事申し上げようと思っていましたが、あまり遅くなりまして ご心配されるといけませんので、先にお返事させていただきます。
お聞かせいただきましたエピソードは、なるほど~ありがちなことかも・・・・・と、納得いたしました。
大学というところは、大変なものです。まして、その当時は、なおさらでしたと思います。
そのような中で、人間味溢れる心を保ち続けていらっしゃった半田先生は、本当に 名医でしたと思います[E:shine][E:shine][E:shine]
Omin様のことは、必ず 寛先生に、お伝えさせていただきますね[E:happy01]
残暑厳しい毎日ですが、どうぞご自愛くださいませ[E:clover]