青蓮院 熾盛光法に参列
青蓮院は 平安時代後期の開創時から 「熾盛光如来曼荼羅」(しじょうこうにょらいまんだら)を ご本尊として お奉りされてきました。
そして この曼荼羅を お奉りして行われます 正式な宗法を 「熾盛光法大法」といいます。
青蓮院HP http://shorenin.com/
先日 この法要に 参列をしてきました。
今年の京都は いまだに 日中は 30度近くまで 気温が上がり、木々は まだ 青々としています。
五色の幔幕に 木々の緑が 映えます。
静かな美しさを たたえます お庭。
そして、お寺の名前にちなみました 蓮をテーマにしましたモチーフが あちらこちらに見られます。
美しい 蓮のふすま絵。
陶器の蓮。
このところ お寺関係の行事が多く、永平寺、知恩院、薬師寺と 続きましたが、それぞれに 宗派の違いや 門主様の個性により 特徴があります。
青蓮院の法要は、全体に 抑揚が少なく 穏やかで 静かなトーンで 進行します。
熾盛光如来様の 子守歌に包まれますようで(^_^;)、修法が 終わりました後は、とても爽やかな気持ちになりました(^_^)。
(追記)
修法の前に お精進料理を いただきました。
もちろん 動物性のものは 一切 含まれていません。
じつは 最近 私は動物性のもの、特に 牛や豚のお肉を食べますのが 嫌になってきています。
外食で出されましたら ありがたく いただきますが、家庭では 鶏や魚を 主に家族のために使います程度です。
年齢とともに 体質が変わりましたことに加え、先日 「私が肉食をやめた理由」(ジョン・ティルストン著http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%8C%E8%82%89%E9%A3%9F%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1-%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%A8%E7%92%B0%E5%A2%83%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4531015517) という本を読み、一層 その思いが強くなりました。
それによりますと、牛や豚の飼料として与えられます 牧草やトウモロコシなどを生産するだけの 面積や 水、エネルギーを、そのまま 大豆畑に置き換えましたら、それだけで 人類にとりまして 牛や豚を食べずとも 充分な タンパク質補給が 可能であるということ、二酸化炭素の排出量も 大幅に減らせるということ。
そして 何より、心に響きましたのは、その著者が 森の中で ハンターに追われた子鹿に遭遇しました時のエピソード。
その時の子鹿は、疲れ切った表情で 確かに 泣いていたと。
その記述を読みました時、愛犬のさくらちゃんを 思い浮かべました。
さくらちゃんも、悲しい時には 涙を流し 嗚咽します。
人間と同じ感情、魂があるのです。牛や豚も そうでしょう。
そう思いましたら、何もわざわざ 食べるためだけに 繁殖させますのは ・・・・ という 気持ちになります。
美味しい お精進料理をいただきながら、そのようなことを 思いました。
ディスカッション
コメント一覧
ワタシも最近お肉を食べなくなりました。
理由は「可哀想だから」です。
難しいことはわかりませんが、兎に角命あるものを食することにとても抵抗を感じるようになってきたのです。
出来るだけ野菜を食べよう!
出来ればお魚も食べないでおきたい。
そんな想いです。
昔から貰った海老(当地では色々な海老が獲れます)を生きたまま茹でて食べるのが嫌で、かと言って死んでしまうと食べても美味しくないのがわかっているし&可哀想で、車に乗って海まで持っていって放したことがありました。
漁港だったので誰かに捕まらないように…と願ってw
変な人でしょ!
かに漁の季節になりました…という新聞記事を見て
顔をしかめています。
付き合いで食べるけれど<かに
出来れば本当に命あるものは食べたくないのです。
狸さん
ありがとうございます。
私も、全く同感です。
鶏や魚は、家族のためには使いますが、確かに、お魚だって可哀相だし、ペットとして飼っていたらと思うと、絶対食べられないですよね。
こういうお話しをすると、人から変人のように見られますが、狸さんのように、よくわかってもらえる人があって嬉しいです!
いただきものの海老を、海に放しに行ったなんて、素敵なエピソードですね(^_^)。