道後温泉・大和屋別荘と 松山のこと

前々回の続きです。

愛媛県の松山へは 飛行機て゜したら 日帰りも可能で、私は そうしたかったのですが、母が 「どうしても 飛行機はイヤ!」 と言いますので、新幹線で 岡山まで行き そこからJR四国に乗り換え(母が走れませんので、乗り継ぎ時間も ゆったり目にとりました)、片道5時間程かけまして、一泊してきました。

松山へ行きますのは、まる2年ぶりのことです。

母と行きます時は、いつも 道後温泉の 大和屋別荘に泊まります。Photo_79

玄関では 女将さんが 「いらっしゃいませ」 ではなく 「お帰りなさいませ」 と出迎えてくださいます。 

しばらくぶりに行きましたら ずいぶんと改装され、和風の 落ち着いたお庭や佇まいとは別に、Photo_81
このような ジュラストーン貼りの お洒落なテラスがつくられていました。

お部屋に付いています 露天風呂も、新しく造り直されていました。Photo_82

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

今回は、松山市に点在しています 母方のお墓4カ所を 全てまわってきました。

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これは 母の実母のお墓があります 旧・北条市(現・松山市)の 西福寺の境内にあります 大ソテツ。 樹齢は どれくらいあるのでしょうか。

松山には 何故か ソテツが あちらこちらに植えられています。(京都では あまり見かけませんが)

今は もうありません 母の実家にも、玄関前と お庭の池のほとりに 何本かありましたことを 懐かしく思い出します。

戦後ほどなく建てられました その家は、今思いましたら ずいぶんモダンな設計でした。

ガラスの玄関ドアを開けますと 吹き抜けになっており、土間からの上がり框は 大きな弧を描いていました。

お庭には 温室があり、母の幼い頃の記憶では その中に 畳一枚を敷いて 祖父(私からみましたら曾祖父)が 寝起きし、母がのぞきに行きますと、温室の花々の中で お茶を点て お菓子を出してもらうのが とても楽しかったそうです。何とも 優雅な老後ですね!

松山は 江戸時代の頃から 茶道が盛んで、祖父も曾祖父も かなり熱心な 茶道家でした。今は 茶道人口は 女性が大半ですが、昔は 男の人の方が 中心でしたようです。

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この古い和菓子屋さん、「西岡菓子舗」は 祖父のお気に入りで、中でも 「薄墨まんじゅう」は よほど好きでしたのか、常に 買ってありました。

母も大好きですが、私は 断然 こちら!

「つるの子」です。Photo_85
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周囲は フワフワのマシュマロ、中は トロリとした黄身餡です。白餡のものや 餡の固いものは よくありますが、このトロトロ感は 他にはありません(^_^)。

また、唯一人になりました 松尾姓の 母の叔母の家も訪ねました。

99歳で、もう何年も 歩くことができませんが、頭は 驚くほど明晰で、今でも ニュースを見て 社会情勢にも 詳しいのです! もう びっくりします程です!

一般には 寝たきりになりましたら 惚けると言われていますが、人間の体や魂には、「絶対、こう」ということは無いものだと いつも思います。

予告せずに訪ねましたが、「まぁ~ みっちゃん(母のことです)、忙しいのに よお来てくれたねぇ~」 と 大変喜んでくださいまして、そして 私を見はりまして、「ゆみちゃん! 私の好きな子よ! (亡くなりました)おじいさんも ゆみちゃんが大好きやったんよ。優しい子じゃ ゆうてのぉ~」 と 言っていただきました(*^_^*)(照)。

そして 帰り際には、何度も 母と私の手を握り 別れを惜しんでくれはりました。

次は 9月に お墓ができあがりましてから お骨を移しますための法事に、松山へ行きます。

まだまだ お元気で、たくさん 昔話しを聞かせていただきたいものです。