京都女子大学附属小学校・創立50周年記念・全学年合同同窓会♪

昨日、京都女子大学附属小学校の 創立50周年記念・全学年合同同窓会が ハイアット・リージェンシーホテルで 開催されました。
私たちは、第10期生です。
この数年、京都では 同志社、立命をはじめ 私立小学校が、次々と開設されています。
いずれも 高い理念と 立派な校舎や 最新の設備、ホテルケータリングの給食などを競い、小さいお子さんのいはりますご家庭の 熱い話題となっています。
私たちが小学生の頃は、京都には 私立の小学校は 京女附小と ノートルダム、聖母女学院の3つしか無かったように思います。(違っていましたら、ごめんなさい)
中でも、京女附小は 各学年1クラスしかありませんでしたので(今でも2クラスと聞きました)、6年間 同じメンバーで、兄弟姉妹のように 育ちました。
また 先生方も、昨年 お亡くなりになりました 平尾先生(主事先生と呼んでいました。校長先生のような役割です)で、当時40歳になられたばかり、他の先生方は 20代30代で、皆 とても熱く 教育に 燃えてはりました。時代も 良かったのでしょう。
当時は ずいぶん年配に見えましたが、今の私たちより どの先生も ずっと お若かったのですから、何か 不思議な気がします。
京女附小は、西本願寺を本山とします 浄土真宗の思想に基づいて 設立されましたので、各教室には それぞれ お仏壇がありました。
お当番の子は、早朝から 小さなお鍋で ご飯を炊き、「お仏飯」としまして 教室のお仏壇にお供えし、前日お供えしましたものは 鳥小屋の小鳥にあげていました。
毎朝 1時限目の前に 教室のお仏壇へ向かい 礼拝をしましたし、毎週月曜日の 全学年朝礼では 一週間無遅刻無欠席でした子や 何かで頑張った子に 金色の蓮の花びらに美しい仏画を描きましたカードをいだき 嬉しかったものです。
そして 折に触れ、先生方から 「感謝すること」 「徳を積むこと」 の大切さを聞かされていました。
今では 教室のお仏壇は 撤去されまして、昼食の前後の 感謝のお祈りも無くなりましたと聞き、とても淋しい気持ちになりました。 今の時代こそ、そうした教育が 必要なのではないでしょうか。
会の最後には、懐かしい校歌を 皆で歌いました。大好きな歌詞です。
み教え仰ぎ 昇る坂
父母思い 帰る坂
つどう我らの 学び屋は
光ゆたかに 輝やけり
歌詞の中に出てきます 「坂」とは この坂のこと。
通称 「女坂」 といいます。
私たちが子供の頃は、お店も無く 歩道は 舗装もされていませんで、京都女子大学へ通う学生や 関係者以外は ほとんど通ることの無い坂道でしたからでしょう。
今は、お洒落な喫茶店などが 並んでいます。
お亡くなりになりました先生以外は ほとんど出席なさっていまして、あの頃と変わらず 皆さん パワフルで 教育熱心でした(^_^)。 今の 先生方も 頑張ってほしいものです。

ディスカッション
コメント一覧
京都女子大学付属小学校の変遷をたどるオプショナルツアーに参加して本当に良かったです。40年ぶりに踏みしめた廊下や階段。あのころの仲間と「あんなことあった!こんなことした!」って。我々10期の『ふじの子』は永遠なれ~!
梶子さん
どうもありがとう(^_^)
次々と、新しい建物に変わっていく中で
京女は、骨董的価値ある建物で、嬉しくなりますね。
帽子掛けの跡まで、そのままなのには驚きました。
そう、私達は「ふじの子」と呼ばれていましたね。
西本願寺の紋が、藤だからでしょうね(^^)。
素敵な小学校に通われたのですね。お教室にご仏壇があり、ご飯を炊いてお供えし、後で小鳥さんにあげる。すばらしい教育をされていたのですね。今は、その慣習がなくなってしまったと聞いて残念な気がします。私は亡くなった父方の祖父母には生前好きだった温かいコーヒーを、母方の祖父にはお煎餅を、弟には私が食べるお菓子を半分分けてご仏壇にお供えしています。その気持を食べてくれると聞いたことがあるからです。(つづく)
(つづき)追伸、私は中学受験を受け、藤女子中学・高校に通いました。やはり5~6月頃になると淡紫色の美しい藤の花が他物にからみ、長い花穂を垂らしていました。地元の人々は私たちのことをふじっ子と呼んでおりました。何と無く似ているなぁと思いました。由美さんの絵本にも美しい藤の花の絵がありましたよね。
どうもありがとう。
「ふじっ子」ですか(^o^)
「ふじの子」と、とてもよく似ていますね。
藤は 大好きなお花のひとつです。
花盛りには、本当に 綺麗ですよね(^^)。
私も 参加しました
怖くて有名な 大I先生 優しくなっていましたネ
”さんきえ”なんて 懐かしかったです(^▽^)
旅人さん
ありがとうございます。
「さんきえ」は、意味もわからないまま、小さな手を合わせて唱えていましたね(^_^)。
大I先生のゲンコツも、怖かったけれど、みんな熱かったように思います。
教育に関しても、善意や情熱が 素直に受け入れられた時代でしたような気がします。
昔のことなので、いいことだけ覚えているのかもしれませんが ・・・。
ご無沙汰しております。 私事
慌しい毎日が続いていますが、これも今月一杯で終わると思います。
そして7月28日には、高崎さんと一緒に京都に伺う予定にしています。
http://www.hiroshi-takasaki.net/
ひろさん
ありがとうございます。
お忙しい毎日と思いますが、体調に気をつけて
がんばってください。
7月の件は、母から聞いております。
ひろさんの事は、ホームページのお写真でしか
拝見したことがありませんが、母は、もうすっかり
お友達の気分で、お目にかかるのを楽しみにしています。
どうぞ宜しくお願いいたします。
たまたま見かけ、突然お邪魔、お許しください。1年後輩すなわち京女大附小第11期の羽溪 了と申します。当日のお世話のご縁をいただいていたものです。あんなに盛会になり心から喜んでいます。有り難うございました。大I先生・・・誰でも分かるビッグストーン。10期の方々は確か岡D先生だったはずですが、担任の支配下におかれなかった方でも怖かったんですねえ。
さて、当時と現在の違いで一部事実と異なる記述があるので、お伝えさせていただきます。
各教室にあったお仏壇は今はありませんし、お仏飯にまつわる良い話もありません。でも朝の集いでは全員合掌して、「一つ、仏の子は すなおにみ教えをききます」に始まる4つの誓いを述べています。今ひとつは、食前・食後には合掌して、食前・食後のことばをきちんと言っています。形は変わっていますが、今もその精神は脈々と受け継がれています。でもお仏飯のお給仕は大切な経験でしたね。
近いうちに、当日の会計報告等を含む通信を送らせていただきます。せっかくのご縁の輪がより広がっていくよう願っています。少し良い情報(これは人によるかな?)もお知らせできるかもしれません。
突然お邪魔して失礼いたしました。
羽渓さん
ありがとうございます。
朝の集いと食前食後の 合唱とお祈りは、今もあるのですね。
どなたかが、今はありませんとおっしゃっていましたので、とてもがっかりしていたのですが、安心しました。
感謝とお祈りは、特に幼いうちからの心の成長に 最も大切なことだと思います。
それを否定するのが 先進的な教育のように思われているむきも一部にあり、悲しく思っていました。
一年下でしたら、弟と同級生のかたですね。
お世話役、ご苦労様です。
また、今後とも どうぞ宜しくお願いいたします。