夏目漱石の書を発見(^o^)/

母の実家は、愛媛県松山市にありましたが、祖父母は すでに亡くなり、母は一人娘ですので、誰も跡を継ぐ者が無く、相続の時に 家土地も全て 処分してしまいました。
京都からは遠く、また 母は仕事が多忙で 人任せにしていましたので、「戦時中には、防空壕に入れて守った。」と聞いていました 曾祖父や祖父の 大切なお茶道具類は、全てが行方不明になってしまいました。
そして、普段使いの数個の棗やお茶碗と、納戸の奥深くにありました ホコリだらけの 掛け軸や色紙が 無造作に詰め込まれました ダンボール2箱だけが、母のもとへ届きました。
残念ですが、しかたがありません。祖父達の お茶道具も、どこかで大切に使われているのでしたら、幸せなことです(^^)。
ところで、ダンボール箱は、中もろくに確認せずに、そのまま実家の押し入れに入れてありました。
先日、長男が帰省していました時、丁度 母も 時間がありましたので、「一度、ちゃんと 見てみようか。」という話しになりました。
掛け軸を、一本一本あけてみまして、まだ綺麗で 使えそうなものは、表具屋さんで 新たに表装していただくようにと、分けていきました。
数本触りましただけで、手は 真っ黒 ・・・(T_T)。
そのうちに、母が 中学生の時に、賞をとりました お習字や、もう何十年経っていますかもわからない 朝顔の押し花なども出てきまして、ひとしきり 話しに花が咲きました。
すると、長男が、「あれ? これ、漱石って書いてあるけど、あの夏目漱石かなぁ?」 と、手に取りましたのは、紙が黄色く変色しました 古い短冊。
2枚ありまして、そのうち1枚には、別紙に 朱墨で 解説らしきものが書いてあります。
確かに、はっきりと 「漱石」と 読めます。
夏目漱石は、明治の頃、松山に滞在していました時期がありますし、祖父は 開業医でしたが、曾祖父は 当時の松山警察署長、さらに その先代は、四国巡礼札所・石手寺の住職でしたから、漱石本人と 面識がありました可能性は 多々あります。
松山市を舞台としました、「我が輩は猫である」という小説は、私も 子供の頃、愛媛弁のセリフが懐かしく、また しばしば行きました 道後温泉の描写などに 親しみを感じて、繰り返し 読みましたものです。(ストーリーは、子供向けではありませんが)
ですので、もしかしますと、明治の時代、曾祖父達が 漱石と この書を前にしまして、語り合っていたかもしれません。
それを、玄孫が 図らずも、一歩間違えましたら 捨てられていました箱の中から見つけ出しましたなんて ・・・ 面白いものです。
もちろん、鑑定しましたわけではありませんので、本物との確証はありませんが、状況から判断しますと おそらく本物 ・・・。
きっと、曾祖父や祖父達は、この発見を 面白がって、喜んでくれていますことと思います(^_^)。
ディスカッション
コメント一覧
松山に深いご縁がおありだったとは!
ただ今拝見して不思議な思いに打たれています。
その漱石の書、いつかおめもじできれば嬉しいです。
私は漱石が書いた杜甫の対句を待合の床にかけて一昨年中宮寺でお茶会をいたしました。お家元もいらしてくださってその書をご覧になりました。
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/3yamabukichakai_wabi.html
椿様
ありがとうございます。
漱石のものらしき短冊は、また押し入れの中に
しまってしまいましたが、機会がありましたら
是非、ご覧ください(^^)。
ゆみさま
漱石の短冊はぜひ拝見いたしとうございます。
自筆の解説も貴重な新資料と思われます。
それからTBが前のと同じものになってしまいました。
一つは削除なさってくださいませ。