同級生のお通夜に思うこと
先週、同級生Mちゃんの前夜式(キリスト教式では、お通夜をこう言うそうです)に出席しました。
すぐには書く気持ちにならず、また 書くかどうかも悩みましたが、やはりMちゃんのためにも、記録に残しておくようにと考えました。
同志社中学・高校、そして大学でも 同じ心理学専攻でしたので、10年間一緒に過ごしましたことになります。
じつは、私は 同志社での10年間ずっと、自分の対人恐怖症をコンプレックスに感じていましたし、そのために ますます周囲に溶け込むことが苦手なのだと 日々、自分にインプットしていました。
ですので、卒業後 40歳を過ぎまして 初めて同窓会に出席しました時、皆から親しく声をかけてもらい、ようやく 「あ、みんな、私のこと覚えてくれてはったんや。」 「もしかして、自分で思いこんでいた程、浮いた存在やったわけではないのかも・・・」 と、認識を新たにしましたものです。
そして、そう考え直しましたら、たとえば Mちゃんとは 同じクラスでした時など、普通に会話してたなぁ・・・ ということも、ぽつぽつ思い出しました。
当時は まだ若くて 視野が狭く、心のゆとりも無かったものですから、ささいな事を この世の終わりみたいに捉えていたのですね。
そして、その事を 以前は、「消してしまいたい過去」のように思っていましたが、今は それも含めまして 私の人生、一人で悩み続けていました あの時期がありましたから、今の私があるのだと思えるようになりました。
そして、その一助となりましたのが、同窓会以降 交流を再開していました Mちゃんの存在なのです。
穏やかで 誰にでも優しいMちゃんは、養護学校の教師をなさっています ご主人を助けつつ、テニスの講師もしてはりました。
長男が 一人暮らしを始めましたばかりで、大学のテニスサークルに入りましたものの 思うように上達しないと悩んでいました時期があり、夏休みに京都へ帰りました時には、Mちゃんが 何度かコーチをしてくれはりました。
子供のいないMちゃんですが、ご主人と同じ名前の長男を、「ホントに素直ないい子やねぇ。」と 可愛がってくれはりました。
テニスに付いて行きました私の方が、暑さでダウンしてしまい、「ゆみちゃん、いくら食べ物に気をつけてても、ちゃんと運動もして 体鍛えなあかんよ。」と、心配してもらいましたこともあります。
そんなMちゃんから 昨年8月、「肺ガンになったらしい」 そして 「セカンドオピニオンになってほしい」 との連絡を受けました。
すぐに、入院中のK病院を訪ねますと、「ゆみちゃんに、体鍛えなあかんよ、て言うてたのに、私が病気になってしまった」 と、笑ってはりました。
別室で、主治医と Mちゃんのご主人、主人と私の4人で話し合いましたが、主治医の口から 「手術は不可能、余命3ヶ月」 との言葉が ・・・。 その時点まで、ご主人も 私達も、「早期発見で、切れば治る」 と 楽天的に考えていましたので、全く どう反応して良いのかわかりませんでした。 ご主人は なおさらでしたことと思います。
その夜、Mちゃんからきましたメールは、「最初は、取り乱して泣いてしまったけど、病気になってしまったものは しかたがありません。今は、より良い治療法を選ぶことを考えなければ。」 との内容でした。
その言葉どうり、その後も Mちゃんからのメールは 一切 泣き言も恨み言も無く、明るく 前向きなものでした。 たとえば、「抗ガン剤で、髪の毛が抜けてしまったけど、今はなかなか良いウィッグがあり、今日 それが届きました。外泊許可が出たので、これを付けて家族で湯豆腐を食べに行ってきま~す。」といったような ・・・。
日本では、未だに 病気の告知を避ける人もありますが、自分の人生に責任を持ち、周囲の人達への責任感もある人であれば、必ず 告知をしてほしいと願うはずですし、してあげるべきだと考えています。 もちろん、私自身も そういう時には必ず 告知してもらいたいと、常々 家族とも話し合っています。
はからずも、つい先日 マイリストの倉島穂高さんが、御自身のブログで 告知の問題を取り上げてはりました。 それは、「子供への告知についての考察」 ではありましたが、大変 共感しました。
Mちゃんは、その後 お正月も自宅で過ごすことができ、私も 「主治医が3ヶ月て言わはったのは、見立て違いやったやん。このまま、回復に向かいますように ・・・。」 と、願っていました。
先々週の金曜日、Mちゃんから 「またまた入院しました。一言お伝えしておきます。」とのメールが来まして、いつもと文体が違いましたのを あれ?と 感じましたが、複数の人に同時に発信しはったためかと思い、「ゆっくり養生してね。」 と返信しました。 今思いましたら、お見舞いに行くべきでした ・・・。
前夜式で、ご主人は 「こんな残念な結果になってしまいましたが、この9ヶ月間、二人で力を合わせ、一つの目的に向かって 精一杯生きました。」 と、おっしゃっていました。

スピリチュアリズムの考えでは、人は この世に 修行のために生まれてきます。その修行の内容は、それぞれの目的や 魂レベルにより様々です。
Mちゃんは、この世で 何ひとつ 悪い事はしてはらへんかったと思います。そして、誰に対しましても親切で、また 自分には厳しく 前向きでした。
そんなMちゃんを、私は 「魂レベルの高い人やなぁ」 と、常々感じてきましたが、最期のあり方を見まして 一層 その確信を得ました。
ですので、Mちゃんは この世での修行を もう消化してしまわはったのでしょう。 一人残して逝かなければなりませんご主人や、先に逝ってしまうことになりましたご両親への 切ない思いはあったでしょうが、Mちゃんの 善なる魂は 迷わず 高い光のもとへ行かはったと信じています。
ただ ひとつ残念でしたのは、Mちゃんが亡くなりました時、私が 何もそれを(虫の知らせなどで)感じることができませんでしたこと。 そして、多くのことを学ばせてもらい、また 息子にも 親切にしてもらいましたことへの 感謝を きちんと伝えることができませんでしたこと。
けれど、きっとわかってくれてはると思います。
誤解を恐れずに書きますと、とても悲しいけれど 清々しい静かな気持ちで Mちゃんの死を受け止めています。 この感覚は、Mちゃんが 天界の 良いところへ行かはったということの お知らせなのだと 感じています。
ディスカッション
コメント一覧
ちょうど、友人の妹さんがなくなって、その悲しみからようやく立ち直りかけているという友人と話した直後に、このブログを見ました。何かがつながっているという感じがしました。若い命が天に還っていく・・・Mさんのご冥福をお祈りします。
ポッキーさん、ありがとうございます。
ポッキーさんのブログには、いつも癒され
そして、学ばせていただいています。
ご無沙汰してます。
前夜式にも告別式にも列席できず、残念な気持ちや申し訳ない気持ちでもやもやしておりました。
ゆみちゃんの投稿を読んで、故人を思い出すことがお悔やみになり少し気が晴れた感じです。
いつも素直で真っ白なゆみちゃんに改めて感謝しています。ありがとう。
PS
実はMさんのおばあちゃんと私の祖母は遠い昔(30年ほど前…)長岡の教会に誘っていただくお友達だったんですよ、そのご苗字を随分あとになって知り奇遇に感じておりました…。
時々覗かせていただき「癒し」いただいています。”^_^”
同級生のご縁に感謝…。
ankoさん、ありがとうございます。
同級生って、ありがたいですね。
これからも宜しくお願いいたしますm(_ _)m